鯛ノ浦カトリック教会
基本情報
- 所在地
- 〒853-3321
長崎県南松浦郡新上五島町鯛ノ浦郷326
- TEL / FAX
-
0959-42-0221
- e-MAIL
- URL
- 業種
- キリスト教会
- コメント
- 周辺情報
- 旧鯛ノ浦教会堂 教会
- 新上五島町立東浦小学校 小学
- つぼみ幼児園 保育所
ウィキペディア検索
- 中通島
- カトリック )の信徒が迫害を逃れて移住してきた歴史があり、島内には29箇所の カトリック教会 が点在する。集落によっては住民のほぼ全員が信者である。また、入り組んだ中通島の形は「十字架」に例えられることもある。 青砂ヶ 浦 教会 (国の重要文化財) 大曽 教会 (長崎県指定有形文化財) 福見 教会 鯛ノ浦 教会 江袋教会(長崎県指定有形文化財)
- カトリック長崎大司教区
- 中 ノ浦 教会 、若松大浦 教会 曽根 教会 (巡回 教会 )- 大水 教会 、小瀬良(こせら) 教会 鯛ノ浦 教会 (巡回 教会 )- 頭ヶ島 教会 、船隠 教会 、佐野原 教会 仲知(ちゅうち) 教会 (巡回 教会 )- 江袋 教会 、赤波江(あかばえ) 教会 、米山 教会 、小値賀 教会 (北松浦郡小値賀町) 土井 ノ浦 教会 (巡回 教会 )- 大平 教会 、有福教会
- 新上五島町
- 行政区: 七目、蛤 阿瀬津郷(あぜつ) 行政区: 阿瀬津、中野(東半)、奥浦(東半) 鯛ノ浦 郷(たいのうら) 行政区: 鯛ノ浦 、中野(西半)、奥浦(西半) 東神 ノ浦 郷(ひがしこうのうら、旧・神 ノ浦 郷) 行政区: 東神 ノ浦 、船隠、佐野原 旧青方町 奈摩郷(なま) 行政区: 北町、南町、内方、口方 網上郷(あみあげ)
- 頭ヶ島天主堂
- 聖ヨゼフ 1869年(明治2年)頃 - キリシタン迫害を逃れ、中通島の 鯛ノ浦 の潜伏キリシタンが無人島だった頭ヶ島に移住 1887年(明治20年) - カトリック に復帰した信徒たちにより初代の聖堂建設 1919年(大正8年) - 1910年(明治43年)の着工から10年を費やし、現聖堂が完成
- 長崎県
- 奈留 - 土井 ノ浦 (新上五島町) - 郷 ノ 首(新上五島町)(五島旅客船) 福江・奥浦(五島市) - 田 ノ浦 (五島市)(木口汽船) 壱岐市・対馬市 比田勝(対馬市) - 厳原(対馬市) - 芦辺(壱岐市)/郷 ノ浦 (壱岐市) - 博多埠頭(福岡県福岡市)(九州郵船) 厳原 - 芦辺/郷 ノ浦 - 博多埠頭(九州郵船)
- 島田喜蔵
- 和14年)より大浦天主堂にて静養。1944年(昭和19年)より五島の 鯛ノ浦 教会 司牧。1948年(昭和23年)、最後の司牧地である 鯛ノ浦 教会 で死去、同地に埋葬された。 ^ 大浦天主堂のポアリエ神父による。『人物による日本 カトリック教会 史』池田敏雄著、中央出版社、1968年、p.170 ^
- 五島崩れ
- 下五島 - 奥浦、岐宿(きしく)、楠原、水の浦、姫島、三井楽、繁敷(しげじき)、葛島(かずらじま) 上五島 - 有福島、桐の 浦 、宿の 浦 、 鯛ノ浦 、冷水(ひやみず)、青砂ガ 浦 (あおさがうら)、茂久里(もぐり)、曾根、江袋、仲知(ちゅうち)、野首、瀬戸脇 の各地で禁教の信者に対する摘発が行なわれた。こ
- 山口愛次郎
- ローマウルバノ大学(現・ウルバニア大学)で学んだ後、ローマで司祭に叙階される。 1924年 - 鯛ノ浦 教会 (南松浦郡新上五島町)の主任司祭となる。 1926年 - 長崎公教神学校の教授となる。 1930年 - 中町 教会 (長崎市)の主任司祭となる。 1936年11月9日 - 鹿児島使徒座知牧区長に任命される。
- 長崎市
- ある。また、三菱重工業長崎造船所は三菱重工業発祥の地でもあり、日本の工業化を支えた港湾都市であった。歴史的経緯から カトリック教 徒の数が比較的多いことでも知られており、特に カトリック教会 は長崎県単独で一つの大司教区を形成している(日本の大司教区は長崎含め3つあり、東京大司教区は東京・千葉で、大阪大司教区は大阪・兵庫・和歌山で構成)。
- 8月15日
- 舞い踊る「山鹿灯籠踊り」が誕生し、祭りの代名詞ともいえる千人灯籠踊りが誕生した。 刺身の日( 日本) 室町時代後期の書記官だった中原康冨の日記に「 鯛 なら 鯛 と分かるように、その魚のひれを刺しておくので刺身、つまり“さしみなます”。」という記述があり、それが刺身と言う言葉が文献に最初に登場した時だった。
企業データ
PAGE TOP