カトリック出津教会
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- 出津教会堂
- 年6月30日に登録が決まった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する「外海の 出津 集落」に包括される 教会 である。正式名称は カトリック出津教会 で、 出津教会 とも呼ばれている。 1882年(明治15年)、 出津 地区において主任司祭を務めていたマルク・マリー・ド・ロ神父の設計により建設された。その後
- マルク・マリー・ド・ロ
- カトリック 神学院となっている。 ド・ロが設計・指導を手がけた 出津教会 堂、大野 教会 堂、旧羅典神学校、旧大司教館および、社会福祉事業に関連する遺跡(ド・ロ神父遺跡、旧 出津 救助院)は、ユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定一覧表へ登録された「長崎の 教会 群とキリスト教関連遺産」に加えられている。
- カトリック長崎大司教区
- 大平教会、有福 教会 浜串 教会 (巡回 教会 )- 福見 教会 、高井旅 教会 真手ノ浦(まてのうら) 教会 (巡回 教会 )- 焼崎 教会 、猪ノ浦 教会 丸尾 教会 五島市 井持浦(いもちうら) 教会 (巡回 教会 )- 玉之浦 教会 浦頭(うらがしら) 教会 (巡回 教会 )- 堂崎天主堂、宮原 教会 、半泊 教会 貝 津教会 (巡回 教会 )- 嵯峨島教会
- 大野教会堂
- ^ “「潜伏キリシタン」世界遺産でイノシシ大暴れ…土掘り返したり石積み崩したり”. 読売新聞 (2022年6月1日). 2022年6月3日閲覧。 カトリック 長崎大司教区 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産 出津教会 堂 大野 教会 堂 長崎旅ネット - 長崎県観光連盟 表示 編集 表示 編集
- 外海町
- 農業地区。国道202号沿いに住宅・耕地が多い。 西 出津 町(にししつ) 自治会: 畑杭、里道、小田平、下 出津 農業地区。外海町はキリシタンの町として知られ、当町の国道202号沿いに関連の施設があり、観光地としての一面を持つ。県施設ド・ロ神父遺跡、 出津教会 堂、ド・ロ神父記念館がある。これらの施設群を 出津 文化村と呼ぶ。また、 出津
- 浜口末男
- 1948年8月1日 - 2020年12月28日)は、日本の カトリック 教会 聖職者で カトリック 大分司教区の司教。洗礼名は「パウロ」。 1948年8月1日、長崎県長崎市西 出津 町で誕生。 カトリック出津教会 出身。福岡サン・スルピス大神学院で学ぶ。 カトリック 大阪教区の前田万葉大司教・枢機卿と同級生であった。
- 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
- 外海の 出津 集落(小田平) 出津教会 堂 旧 出津 救助院 外海の 出津 集落(浜口) 大野集落 大野 教会 堂 原城跡 黒島の集落(古里地区) 黒島天主堂 春日集落の棚田 安満岳 潜伏キリシタンが祀った安満岳山頂の「奥の院様」 中江ノ島 野首集落跡と旧野首 教会 堂 舟森集落跡 頭ヶ島集落(田尻地区)
- 頭ヶ島
- 五島石集落景観」に選定されている。島内の集落は頭ヶ島 教会 がある白浜地区、頭ヶ島大橋近くの浜泊地区、南岸の田尻地区、崎浦漁港がある福浦地区の四カ所。 崎浦の五島石集落における石積み技術は、重要文化的景観「長崎市外海の石積集落景観」に選定されている 出津 集落などから移住してきた隠れキリシタンによってもたら
- 隠れキリシタン
- 強制改宗により仏教を信仰していると見せかけ、キリスト教( カトリック )を偽装棄教した信者のこと。 1873年(明治6年)に禁教令が解かれて潜伏する必要がなくなっても、江戸時代の秘教形態を守り、 カトリック 教会 に戻らない信者。 潜伏する必要がなくなった現在でもその信仰を続けている信者は
- 田口芳五郎
- 1978年2月23日)は、 カトリック 教会 の枢機卿、元 カトリック 大阪大司教。洗礼名は「パウロ」。 1902年7月20日 長崎県西彼杵郡黒崎村 出津 (現長崎市)に生まれる。(里脇浅次郎枢機卿と同じ 出津教会 出身) 1928年12月22日 司祭叙階 1937年7月 合名会社 カトリック 新聞初代社長就任 1941年12月14日
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