静明院
基本情報
- 所在地
- 〒860-0072
熊本県熊本市西区花園4丁目1-76
- TEL / FAX
-
096-359-7921 / 096-359-7920
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
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- 鍋島直員
- 父母 鍋島直英(父) 千重子、本良 院 ー 多久茂文の娘(母) 正室 松子、 静明院 ー 鍋島宗教の養女、五条為範の娘 子女 鍋島直嵩(長男) 鍋島直愈(次男)生母は 静明院 (正室) 鍋島直賢(三男) 鍋島直宜(四男)生母は 静明院 (正室) 田尻種信(五男) 西豊明(六男) 諫早茂成室
- 持明院家
- 持 明院 家(じみょういんけ)は、藤原北家中御門流の公家・華族である。公家としての家格は羽林家、華族としての家格は子爵家。 藤原道長の次男藤原頼宗の曾孫、藤原俊家の子・基頼の流れを汲む。江戸時代の石高は200石。家学は鷹匠、書道(筆道宗家)、神楽。 明治維新後、華族に列し、華族令発布後には基哲が子爵に叙せられた。
- 本成寺 (三条市)
- うきゅうさん)。開山の日印聖人は日朗聖人(六老僧)の高弟で宗祖日蓮大聖人の法孫に当る。塔頭が十カ寺ある(要住院、本照 院 、久成 院 、蓮如 院 、持経 院 、顕性 院 、一乗 院 、本高院、 静明院 、寿妙 院 )。 主に東日本・東海地方に寺院・檀信徒を持つ法華宗陣門流を統括する。毎年2月3日に本堂で行われる鬼踊りは有名で、日
- 鍋島宗教
- 院 殿瑞章良麟大居士。 父:鍋島宗茂(1687-1755) 母:貞姫 - 貞樹 院 、久世通夏の娘 正室:綱姫 - 中院通躬の娘 婚約者:亀姫 - 瑤台 院 、池田吉泰娘 生母不詳の子女 女子:伊達村俊室 養子 男子:鍋島重茂(1733-1770) - 鍋島宗茂の七男 女子:松子 - 静明院 、鍋島直員正室、五条為範娘
- 鍋島直愈
- 父母 鍋島直員(父) 松子、 静明院 ー 鍋島宗教の養女、五条為範の娘(母) 正室 数子 ー 鍋島重茂の娘 側室 タミ、本性 院 ー 秀島記稔の娘 三笠、良峰 院 ー 松崎利如の娘 子女 鍋島直知(長男)生母は本性 院 (側室) 鍋島直堯(次男)生母は良峰 院 (側室) 篤子 ー 鍋島直彜正室
- 鍋島直宜
- 直彜に譲って隠居する。文政2年(1819年)12月23日に死去した。享年57。 父母 鍋島直員(実父) 松子、 静明院 ー 鍋島宗教の養女、五条為範の娘(実母) 鍋島直煕(養父) 正室 悌操 院 ー 鍋島治茂の娘 側室 登志 ー 市川武矩の娘 琴 ー 相良氏 絹 ー 清水氏 百合 ー 山田氏 子女 博 ー
- 本妙寺 (熊本市)
- 同田貫正国 本是山 静明院 天正年間開創 開山妙音 院 日領 吉祥山東光 院 玉名郡南関町に開創され元和二年本妙寺山内に移転 開山東光 院 日延 仙乗 院 天正三年開創 開山日輝 龍淵 院 元和元年開創 開山龍淵 院 日通 大津山智運 院 延宝年間開創 開山慧雲 院 日意 常住院 元和二年開創 開山発星 院 日真 妙心 院 元和二年開創 開山日陽
- 珣子内親王
- 院 (西園寺寧子)。北朝からの女院号は新室町 院 (しんむろまちいん)。 後伏見上皇の正室との最初の子として愛育され、皇女ながら、持 明院 統嫡子で同母弟の量仁親王(のちの光厳天皇)に次ぐ待遇を受けた。やがて、元弘の乱(1331年 - 1333年)で、持 明院
- 崇光天皇
- 明院 統において琵琶は正嫡のみが修得する) 金剛寺で3年あまりの抑留生活を送るが、南朝勢力が衰微して講和へ傾くようになると、延文2年(1357年)2月に光厳 院 、直仁親王とともに帰京する。直仁親王はすでに出家したため、光厳は崇光を持 明院 統の正嫡に定めた。
- 後醍醐天皇
- 院 (上皇)も天皇も含む)の権力に頼る事例が多くなり、後醍醐個人の思想・性格とは関係なく、そうした時代の流れが中央集権的な君主の誕生を促したのだとした。かつて後醍醐の特徴とされた抜擢人事も、別に後醍醐に限ったことではなく、対立する持 明院 統でも行われていたことも指摘した。
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