日蓮正宗上行院
基本情報
- 所在地
- 〒891-0104
鹿児島県鹿児島市山田町1987-2
- TEL / FAX
-
099-265-1505
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- JR鹿児島本線 広木 1640m
- JR指宿枕崎線 郡元 3160m
- 鹿児島市電唐湊線 唐湊 3180m
- 周辺情報
- 鹿児島市立谷山北中学校 中学
- 鹿児島市立向陽小学校 小学
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- 日蓮正宗
- 日蓮正宗 (にちれんしょうしゅう)とは、宗祖 日蓮 を末法の本仏、三大秘法を宗旨とし、日本の静岡県富士宮市の大石寺を総本山とした富士門流に位置づけられる仏教の宗派である。講員数約86万人。 総本山 多宝富士大 日蓮 華山大石寺(たほうふじだいにちれんげざんたいせきじ〈別名は富士大石寺または富士山大石寺〉、静岡県富士宮市)
- 日蓮宗
- 日蓮 宗と顕本法華宗、単立と分かれているため縁頭寺、出世寺については触れない。興統法縁(日興門流)の場合、 日蓮正宗 (総本山 上 条大石寺)や 日蓮 本宗(総本山京都要法寺)については本末制のみのため法縁はない。宗教法人・ 日蓮 宗の内部で合同を維持している寺院は興統法縁会を組織し、かつて本門宗の宗務 院 が置かれた北山本門寺を縁頭寺としている。
- 日蓮正宗寺院一覧
- 種儀式・法要などが執行されていない寺院は「かつて 日蓮正宗 に属していた寺院一覧」を参照。 「※」および「※触頭」は、触頭長応寺『 日蓮 法華宗勝劣派本末寺名帳』其二(明治三年)において大石寺末として記載されていた諸寺院を示す。 日正寺(札幌市北区) 大慈 院 (札幌市清田区) 直唱寺(札幌市厚別区) 聞佛寺(札幌市手稲区)
- 日蓮
- 上行 等の四菩薩脇士となるべし」と説かれる。この文の解釈は各宗派で異なる。たとえば、 日蓮 宗ではこの文の「本門の教主釈尊」を文 上 寿量品に説かれる久遠実成の釈迦仏とするのに対し、 日蓮正宗 では釈迦仏を正法・像法時代の教主とする立場からこの「本門の教主釈尊」を本因妙の教主釈尊すなわち 日蓮 自身であるとする。
- 大石寺
- 大石寺(たいせきじ)は、 日蓮正宗 総本山の寺院である。宗祖は 日蓮 。正応3年10月12日(1290年11月15日)、第二祖(開祖)日興によって開創された。寺号の大石寺は地名の大石ヶ原(おおいしがはら)に由来する。開基檀那は南条時光。 山号は「多宝富士大 日蓮 華山」(たほうふじだいにちれんげさん)で、「大 日蓮 華山」とも言う。
- 富士門流
- 上行 寺・住本寺も対峙していた。そこで、日辰は 上行 寺・住本寺を合併。さらには関東寺院の調停を行い一定の成果を上げるも、日辰の主張する「釈迦像造立・法華経一部読誦論」を 日蓮 の正意ではないとして、富士大石寺第13世日 院 が拒否。富士大石寺に関わる調停は失敗に終わる。実際、現代の 日蓮正宗
- 正信会
- 宗教法人「正信会」(公式サイト) 宗祖・ 日蓮 大聖人・第二祖日興 上 人への回帰を標榜している。 機関紙『妙風新聞』を発行している。 任意団体の「 日蓮正宗 正信会」(公式サイト)(従来から存在する正信会) 正信覚醒運動は本門戒壇の大御本尊を信仰の根本とし「英邁な法主」が出現して、正信覚醒運動が認められれば、 日蓮正宗 (総本山・大石寺)に帰るという立場を採っている。
- 本門宗
- 1900年(明治34年)大石寺とその末寺が離脱し、 日蓮 宗富士派として独立、1912年(明治45年)には 日蓮正宗 と改称。 1941年(昭和16年)勝劣派の顕本法華宗、一致派の 日蓮 宗とともに三派合同を行い、勝劣派、一致派の諸門流の本山末寺からなる 日蓮 宗に発展解消。本門宗の前管長由比日光師は 日蓮 宗内部における富士門流の組織興統法縁会の初代会長に就任した。
- 冨士大石寺顕正会
- 日蓮 系、日興門流系、富士門流系、大石寺系の宗教団体である。 埼玉県さいたま市大宮区寿能町に本部を置き、日本各地に約60箇所の会館を有する。 公称会員数は約260万人を擁する 単立宗教法人で、宗教法人法に基づく届出名は宗教法人「顕正会」である。 もともとは 日蓮正宗
- 本尊 (日蓮正宗)
- この項目では 日蓮正宗 の本尊について述べる。 日蓮 書写の曼荼羅本尊(現存約130幅)については、文字曼荼羅・十界曼荼羅・御本尊などと呼んでいるが、 日蓮正宗 ではそれらすべては伝本門戒壇之大御本尊を根元として、木の幹が戒壇本尊ならば他は枝葉のようなものであるとしている。
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