仁叟寺
基本情報
- 所在地
- 〒018-5334
秋田県鹿角市十和田毛馬内字番屋平26
- TEL / FAX
-
0186-35-3127
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- JR花輪線 十和田南 2060m
- JR花輪線 柴平 5100m
- JR花輪線 末広 5740m
- 周辺情報
- 鹿角市先人顕彰館 その他文化施設
- 十和田市民センター体育場 体育館
- 秋田県立十和田高校 高校
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- 仁叟寺
- 仁叟寺 (じんそうじ)は、群馬県高崎市吉井町神保にある曹洞宗の寺院。 室町時代前期、奥平貞訓の開基である。その後、1522年(大永2年)に貞訓の子孫である貞能により現在地に移された。当 寺 では、移転時の住職直翁裔正を開山とし、そこから数えることになっている。 これまでに歴代領主の保護を受け、江戸時代には、25石の寺領を受けている。
- 菅沼定利
- 慶長7年(1602年)に死去。田峯菅沼氏の血統は断絶したが、死後の家督は盟友・奥平氏から迎えた養嗣子の忠政が継いだ。 菩提寺として吉井神保の 仁叟寺 に葬られたが、150年後に三河新城3代領主菅沼定用により、墓石塔を玄太寺に移された。現在、墓石塔は高崎市史跡に指定されている。 ^
- 溝口信勝
- 元禄4年(1691年)6月22日歿す。享年70。法名は智光院殿實参了心大居士。江戸貝塚青松寺(現東京都港区)に葬られる。また元知行地であった群馬県高崎市吉井町神保の 仁叟寺 にも墓所があり、墓石塔は牛伏砂岩製で高さ210cm、幅92cm、厚さ77cmの大型なものである。 父:溝口善勝 母:慶春院 - 前田長種娘 正室:板倉重昌娘
- 関東享禄の内乱
- 本朝通鑑』) 憲寛による安中氏討伐の背景には、長野氏と安中氏の対立があったと考えられる。 享禄3年(1530年)5月 「左衛門尉」が上野国多胡郡・ 仁叟寺 (吉井町)に対して禁制を与えた。山内上杉氏領国内で戦乱があったことを示す。 享禄3年(1530年)5月21日 上杉憲寛が、高田憲頼の注進により、被
- 多胡碑
- 安山岩製で文字は古風。「郡」と「正」の字が加刻後の字形と指摘されている。 三浦家の碑(福島県耶麻郡) - 安山岩製で文字は古風。下部3分の1を欠くが、「正」の字は古形をとどめている。 仁叟寺 の碑(群馬県吉井町) - 石質は多胡碑と同じ。「郡」の字が加刻後の字形であるが、「正」の字は加刻以前の古形をとどめている。 [脚注の使い方] ^
- 龍源寺
- 仁叟 禪寺と兼務。 龍源寺 (東京都港区) – 東京都港区三田にある臨済宗妙心寺派の寺院。瑞雲山龍翔院龍源寺。 龍源寺 (三鷹市) – 東京都三鷹市大沢にある曹洞宗系単立の寺院。大澤山龍源寺。 龍源寺 (豊川市) – 愛知県豊川市萩町大門にある曹洞宗の寺院。虎嶽山龍源禪寺、萩原 寺 。 龍源寺
- 大徳寺
- 寺 運は栄え今日に至っている。 太字は大徳寺派管長経験者。 開山.宗峰妙超(興禅大燈国師) 徹翁義亨(大祖正眼禅師) 令翁宗雲 愚翁宗碩 虎渓道壬 平泉道均 蒋山 仁 禎 言外宗忠(密伝正印禅師) 卓然宗立 法雲操堂 明 叟 徳翁 叟 碩 鄧林 大象宗嘉 大器 南周 竺翁 大模宗範
- 高橋紹運
- 墓所は家臣・藤内重勝が開いた福岡県太宰府市の西正 寺 、岩屋城二の丸跡の高橋紹運墓、子の柳河藩初代藩主・立花宗茂が建立した福岡県柳川市の天 叟寺 と孫の三池藩初代藩主・立花種次が建立した福岡県大牟田市の紹運 寺 。 子孫の三池藩六代藩主立花種周と七代藩主立花種善は、文化二年(1805年
- 臨済宗
- 東陽徳輝 - 中巌円月(中巌派) 笑隠大訢 - 用章廷俊 - 無我省吾 石室祖瑛 梅屋念常 浙翁如琰 - 偃渓広聞・大川普済 妙峰之善 - 蔵 叟 善珍 - 元 叟 行端 - 楚石梵琦 (大日房能忍(日本達磨宗)) 虎丘紹隆(虎丘派) - 応庵曇華 - 密庵咸傑 松源崇嶽(松源派) 滅翁文礼 - 横川如珙 -
- 鍋島直正
- 斉直の十七男。母は池田治道の娘・幸。正室は徳川家斉の十八女・盛姫(孝盛院)、継室は徳川斉匡の十九女・筆姫。明治維新以前の諱は斉正(なりまさ)。号は閑 叟 (かんそう)。「佐賀の七賢人」の一人。 文政10年(1817年)、将軍・徳川家斉から松平姓を与えられた。天保元年(1830年)、父・鍋島斉直の隠居を
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