芝浦電子工業株式会社 / 都城出張所
基本情報
- 所在地
- 〒885-0042
宮崎県都城市上長飯町190-1
- TEL / FAX
-
0986-21-3751
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 通信用機械器具
- コメント
- 最寄り駅
- JR吉都線 都城 3270m
- JR日豊本線 都城 3270m
- JR日豊本線 三股 3500m
- JR日豊本線 西都城 3620m
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- 東芝
- 東京白熱電燈球製造 株式会社 が「東京電気 株式会社 」に社名変更。 1904年 芝浦 製作所が 会社 組織となり「 株式会社 芝浦 製作所」設立。 1939年 重電メーカーの 株式会社 芝浦 製作所が軽電メーカーの東京電気 株式会社 を合併し、東京 芝浦電 気 株式会社 に商号変更。 1949年 石坂泰三が社長に就任。 株式 上場。 1950年
- シャープ
- 東成郡田辺町(現・大阪府大阪市阿倍野区)に早川金属 工業 研究所を設立する。1935年に改組し、 株式会社 早川金属 工業 研究所を設立し、1936年に早川金属 工業株式会社 、1942年に早川電機 工業株式会社 、1970年にブランドとして使われていたシャープ 株式会社 に社名変更する。2016年に大阪府堺市堺区匠町に本社移転した。
- デンカ
- 中央研究所開所(東京都町田市) 並びにデンカ石油化学 工業 (現:千葉工場)を設立。 1976年(昭和51年) - アクゾ・ザウト・ケミー社(オランダ)と合弁でモノクロル酢酸の製造販売 会社 デナックを設立。 1979年(昭和54年) - 東京 芝浦電 気(現:東芝)から東芝製薬(現:デンカ生研)の 株式 を譲受。 1980年(昭和55年)
- 福岡工業大学
- 福岡六大学野球連盟加盟校。「国公私立大コンソーシアム・福岡」代表校。工大サミット加盟校でもある。 2017年3月に日本の理工系5大学(愛知 工業 大学、大阪 工業 大学、 芝浦 工業 大学、広島 工業 大学、福岡 工業 大学)が「工大サミット」を設立した。 工業 立国を支える人材育成に対する工科系大学としての使命と、ボーダレス化の進展する世界の中で、イノベーショ
- 沖電気工業
- 元逓信次官の内田嘉吉が顧問に就任。 1927年 - 東京市芝区西 芝浦 に 芝浦 工場(旧東京工場、後の旧6号別館)を開設。 1930年 - 二代目浅野総一郎(浅野泰治郎)(浅野財閥総帥二代目)が会長に就任。 1949年 - 企業再建整備法により沖電気を解散し、第二 会社 として沖電気 工業株式会社 を設立。 1951年 - 東京証券取引所上場。
- 芝浦メカトロニクス
- 東京 芝浦電 気 株式会社 (現・東芝)の事業を一部継承し、 株式会社 芝浦 京町製作所を設立。本店を東京市麹町区有楽町に置く。 12月 - 商号を 株式会社 芝浦 製作所に変更。 1942年(昭和17年)1月 - 大船工場(現・横浜事業所)の操業を開始。 1943年(昭和18年)9月 - 小浜工場(現・ 芝浦 自販機本社)の操業を開始。
- 東芝ホクト電子
- 東芝ホクト 電子 株式会社 (とうしばホクトでんし)は、北海道旭川市にある企業。東芝の関係 会社 。 第二次世界大戦の最中に空襲の危険性が高い工場の疎開を計画した東京 芝浦電 気(現在の東芝)が、北海道庁に適地を打診したことがきっかけである。当時旭川市議会議員や旭川商工会議所理事を務めた山本英一が中心となり市当局
- 財閥解体
- 株式会社 日立製作所(日産)→ 日立金属・日立電線(現在は日立金属に吸収)・日立化成 工業 (日立化成→現:レゾナック)等を分社化。日立造船をグループから離脱させる。 松下電器産 業株式会社 → 松下電器産業(現:パナソニック)と松下電工(現在はパナソニックに再吸収)とに解体された。 東京 芝浦電 気 株式会社 (三井)→
- ゼネラル・エレクトリック
- オーウェン・D・ヤングがAEGの監査役に就任。 1930年 - 芝浦 製作所がGEタービン関連発明を日本で出願するようになる。以降、GEの主導により東京電気・ 芝浦 製作所2社間の特許割当・移管が進む。 1939年 - 東京電気無線(1945年に東京 芝浦電 気 株式会社 となる。以下、東芝)誕生。 1941年12月22日 -
- EMIミュージック・ジャパン
- for all, All for music」。 1960年に東京 芝浦電 気(現:東芝)の音楽レコード事業部が独立し、東芝音楽 工業 (とうしばおんがくこうぎょう)として設立された。1973年にかねてより取引していた4大メジャーレコード 会社 のひとつであるイギリスのEMIグループが資本参加し、東芝EMI(TOSHIBA-EMI
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