板東郵便局
基本情報
- 所在地
- 〒779-0234
徳島県鳴門市大麻町板東字采女8
- TEL / FAX
-
088-689-0903
- e-MAIL
- URL
- http://www.post.japanpost.jp/
- 業種
- 郵便局・郵便業
- コメント
- 最寄り駅
- JR高徳線 板東 420m
- JR高徳線 阿波川端 1930m
- JR高徳線 池谷 2490m
- JR鳴門線 池谷 2490m
- 周辺情報
- かどや椿荘 旅館
- 鳴門市立板東小学校 小学
- 板東駅(JR) 駅(JR在来線)
- 鳴門市立板東幼稚園 幼稚園
- ドイツ村公園 レジャー公園
- 森書店 書店
- エネオス板東SS エネオス
- 竺和山霊山寺 四国八十八ヶ所
- 霊山寺(第1番札所) 仏閣(寺、観音、不動、薬師)
- 鳴門市消防署大麻分署 消防分署、出張所
- 阿波銀行板東支店 地方銀行
- JA徳島北板東支所 銀行その他
- 道の駅第九の里 道の駅
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- 鳴門市
- 徳島県立徳島学院 集配を担当する 郵便局 は、以下の3局である(局名の後に記述している数字は 郵便 番号)。このほか、集配を担当しない 郵便局 が10箇所、簡易 郵便局 が4箇所置かれている。 鳴門 郵便局 : 772-00xx・771-03xx 板東郵便局 : 779-02xx 堀江 郵便局 : 779-03xx 四国旅客鉄道(JR四国)
- 板東駅
- 1日平均乗車人員は下記の通り。 鳴門市役所 板東 連絡所 鳴門警察署大麻町 板東 駐在所 鳴門市消防本部大麻分署 鳴門市 板東 小学校 鳴門市 板東 幼稚園 板東 みやま保育園 鳴門市 板東 公民館 板東郵便局 板東 診療所 徳島県道12号鳴門池田線 徳島県道41号徳島北灘線 徳島県道166号 板東 停車場線 旧撫養街道 板東 タクシー 四国八十八ヶ所第1番札所霊山寺
- 霊山寺 (鳴門市)
- 庭園および駐車場には彫刻家・居上真人(四国大学短期大学部教授)の屋外彫刻が点在している。 石柱門 - 撫養街道・ 板東郵便局 横の丁字路から北へ向かう門前通りにある。通りに沿って遍路宿(民宿)がある。 鉄道 四国旅客鉄道(JR四国) 高徳線 - 板東 駅 下車 徒歩10分 正月三が日のみ 特急「うずしお」の一部が臨時停車する。 バス
- 切手
- り切手を発行した。1872年7月に高知県内でも 郵便 が開業したが、その後もしばらくは並存したといわれる。 このほか、台湾地方切手、サザーランド切手、 板東 収容所切手などがある。 郵便 制度にはさまざまなものがあり、制度自体日本に存在しないもの(例:気送管 郵便 )も珍しくない。また、目立たせることで取扱を円
- 佐野市
- 佐野 板東 三十三箇所観音霊場 さのまる - 佐野ブランドキャラクター(ゆるキャラ) [脚注の使い方] 注釈 ^ 「327-01xx」「327-0231」「327-03xx」地域はそれぞれ元・赤見、飛駒、田沼 郵便局 の管轄。2006年に各 郵便局 の無集配局化に伴って佐野 郵便局 へ移管。 出典 ^
- 名東区
- 一社メディカルステーションビル(一社駅北口に隣接し、複数の診察科及び調剤薬局が入居する総合医療ビル) 本区を担当する集配 郵便局 は名 東郵便局 である。 区内の 郵便 番号は〒465-00**。 主な 郵便局 名 東郵便局 図書館 名古屋市名東図書館(文教台二丁目205番地) 劇場 うりんこ劇場 名東文化小劇場(上社一丁目802番地
- 四国地方の郵便番号
- 郵便 番号の上5桁と一致するものがある場合はその5桁がそのまま 郵便 区番号となり、上5桁では一致するものがなく上3桁と一致する 郵便 区番号がある場合はその3桁が 郵便 区番号となる。 ここでは、資料「 郵便 区番号一覧」中の凡例より、番号に対し単一の 郵便局
- 登録有形文化財一覧
- 下関南部町 郵便局 庁舎(旧赤間関 郵便 電信局) 蜂谷ビル(旧東洋捕鯨株式会社下関支店) 防府天満宮本殿・幣殿・拝殿 日清講和記念館 高橋家住宅主屋・西納屋・蔵・表門・藍寝床(東納屋)・練塀 徳島県立城北高等学校人形会館 三井翠松園(旧三井高達別荘)別館 安藝家バラッケ(旧 板東 俘虜収容所) 柿本家バラッケ(旧 板東 俘虜収容所)
- 撫養町斎田
- 、江戸時代初期の普請にかかるものである。また、市天然記念物オニバスの群生地として知られる。 山岳:棒杭山 湖沼:大池 江戸期から明治22年にかけては 板東 郡および板野郡の村であった。寛文4年(1664年)より板野郡に属した。1889年(明治22年)、町村制施行により板野郡撫養町の大字となった。1947
- 撫養町小桑島
- 国道28号・JR鳴門線が走り、鳴門駅がある。駅前東側には歓楽街がある。 撫養川 地内の大半は、かつては塩田であった。 江戸期から明治22年にかけては 板東 郡および板野郡の小桑島村であった。寛文4年より板野郡に属する。明治22年に同郡撫養町の大字となった。1947年(昭和22年)3月には鳴南市、同年5月より現在の鳴門市の字名となる。
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