身延町 / 湯町消防会館
基本情報
- 所在地
- 〒409-2942
山梨県南巨摩郡身延町下部982
- TEL / FAX
-
0556-36-1443
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 会館・ホール
- コメント
- 最寄り駅
- JR身延線 下部温泉 810m
- JR身延線 波高島 1970m
- JR身延線 甲斐常葉 2430m
- 周辺情報
- ホテル守田 旅館
- 花の宿多喜本 旅館
- 湯元ホテル ホテル
- 元湯甲陽館 旅館
- 元湯橋本屋 旅館
- 古湯坊源泉館 旅館
- 大黒屋旅館 旅館
- 下部温泉 温泉地
- 下部温泉駅(JR) 駅(JR在来線)
- 交道会しもべ病院 病院(動物は除く)
- 甲斐黄金村・湯之奥金山博物館 博物館
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- 身延町
- 身延町 (みのぶちょう)は、山梨県南巨摩郡の 町 。国中地方に含まれる。 日蓮宗の総本山である 身延 山久遠寺が所在する門前 町 として有名である。 また、千円紙幣や五千円紙幣に描かれている「逆さ富士」は、 身延町 の中ノ倉峠から本栖湖越しに撮影された写真がモデルである。 主な山 身延 山 主な川 富士川 主な湖 本栖湖(西半分の湖岸。湖面は境界未定)
- 身延山
- 身延 山(みのぶさん)は山梨県南巨摩郡の 身延町 と早川 町 の境にある山である。標高1,153m。また同地にある日蓮宗総本山久遠寺の山号でもあり、日本仏教三大霊山の一つという別名としてもよく用いられる。 山麓の標高400m付近に日蓮宗総本山である 身延 山久遠寺があり、山頂にも日蓮が父母を偲んで建立したと言わ
- 身延駅
- 駅前を 身延 線や富士川に沿って走るのは県道10号である。 身延町 から富士宮市に掛けて富士川東岸を縦貫する道で、甲斐大島駅、内船駅等を通っている。 身延町 役場 身延 支所、山梨県立 身延 高等学校、 身延町 立 身延 中学校、 身延町 立 身延 小学校等がある 身延 中心部は富士川の対岸となっているが、駅の北300m程の所で 身延
- 国道52号
- 4 km、全線2車線。 身延 バイパス 身延町 小田船原から同町波木井に至るバイパス道路。 山梨県と静岡県を結ぶ主要道路であるほか、付近には日蓮宗の総本山である 身延 山久遠寺があるため、トラックやダンプカー、観光バスなどの大型自動車の往来が激しい地域である。一方で梅平地区の道幅が狭く、またこの地域は山梨県立 身延
- 南巨摩郡
- 鰍沢村が町制施行して鰍沢 町 となる。(1 町 22村) 大正12年(1923年)3月31日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。 大正15年(1926年)6月30日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。 昭和6年(1931年)1月1日 - 身延 村が町制施行して 身延町 となる。(2 町 21村) 昭和8年(1933年)7月1日
- 山梨県道9号市川三郷身延線
- 山梨県道9号市川三郷 身延 線(やまなしけんどう9ごう いちかわみさとみのぶせん)は、山梨県西八代郡市川三郷町から山梨県南巨摩郡 身延町 梅平の国道52号に至る県道(主要地方道)である。 かつては「市川大門 身延 線」であったが、2005年(平成17年)10月1日に市川大門 町
- 久遠寺
- 久遠寺(くおんじ)は、山梨県南巨摩郡 身延町 にある、日蓮宗の総本山(祖山)。山号は 身延 山。 文永11年(1274年)、甲斐国波木井(はきい)郷の地頭南部六郎実長(波木井実長)が、佐渡での流刑を終えて鎌倉に戻った日蓮を招き西谷の地に草庵を構え、法華経の読誦・広宣流布及び弟子信徒の教化育成、更には日本に迫る蒙古軍の退散、国土安穏を祈念した。
- 国道300号
- 山梨県道404号古関割子線( 身延町 ) 山梨県道9号市川三郷 身延 線( 身延町 ) 山梨県道419号甲斐常葉停車場線( 身延町 ) 山梨県道412号栃代常葉線( 身延町 ) 山梨県道411号下部飯富線( 身延町 常葉バイパス南) 山梨県道415号湯之奥上之平線( 身延町 ) 山梨県道9号市川三郷 身延 線( 身延町 ) 国道52号( 身延町 上沢交差点)
- 静岡県道・山梨県道10号富士川身延線
- 静岡県道・山梨県道10号富士川 身延 線(しずおかけんどう・やまなしけんどう10ごう ふじかわみのぶせん)は、静岡県富士市から山梨県南巨摩郡 身延町 に至る主要地方道(静岡県道・山梨県道)である。 路線名称にある「富士川」は静岡県内にかつて存在した富士川 町 を指し、山梨県にある富士川 町 の事ではない。 起点 :
- 西八代郡
- 甲府市の一部(古関町・梯町) 南都留郡富士河口湖町の一部(西湖・精進・本栖・富士ヶ嶺) 南巨摩郡 身延町 の一部(富士川以東) 南巨摩郡南部 町 の一部(富士川以東) 南巨摩郡富士川 町 の一部(富士川以東) 「旧高旧領取調帳」に記載されている、八代郡のうち後の当郡域の、明治初年時点での支配は以下
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