江口夜詩記念館
基本情報
- 所在地
- 〒503-1632
岐阜県大垣市上石津町下山2011
- TEL / FAX
-
0584-45-3344
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 会館・ホール,音楽ホール
- コメント
- 最寄り駅
- 三岐鉄道三岐線 西藤原 8180m
- 養老鉄道 美濃津屋 8190m
- 養老鉄道 養老 8690m
- 周辺情報
- 打上調整池 湖、沼、池、貯水池、潟、人工湖、浦(水部)
- 水嶺湖 河川・湖沼・海
ウィキペディア検索
- 江口夜詩
- 江口 夜詩 (えぐち よし、1903年7月1日 - 1978年12月8日)は、日本の作曲家、海軍軍人。海軍軍楽隊員。本名 江口 源吾(えぐち げんご)。 岐阜県養老郡時村大字上(現・岐阜県大垣市上石津町上)出身。16歳の時、海軍軍楽隊に応募し、第一期軍楽補習生として横須賀海兵団に入団。海軍軍楽隊専属の
- 江口浩司
- も強く、校歌や町民歌などを手がけるとともに、1979年の 江口夜詩 顕彰碑の建立、1994年の 江口夜詩記念館 を中心とした日本昭和音楽村開設など、父を顕彰する町の事業にも協力した。 2010年1月23日、膵臓癌のため、世田谷区内の病院で死去。 江口 は2006年に第48回日本レコード大賞において功労賞を受
- 木住野佳子
- Concert」(2001年)2000年秋、赤坂ブリッツで開催した「テンダネス」コンサートを収録。 木住野佳子ピアノトリオジャズコンサート(2009年11月29日)日本昭和音楽村 江口夜詩記念館 音楽ホール 西嶋徹(ベース) 岡部洋一(パーカッション) 鈴木重子-ライブを合同で年数回開いている。 高田なみ Yoshiko kishino
- 春日八郎
- 赤いランプの終列車(1952年)- 作詞:大倉芳郎/作曲: 江口夜詩 ギター流し(1953年)- 作詞:矢野亮/作曲:吉田矢健治 涙のジャガタラ船(1953年)- 作詞:朝倉芳美/作曲: 江口夜詩 街の燈台(1953年)-作詞:高橋掬太郎/作曲:吉田矢健治 雨降る街角(1953年)-
- 日本昭和音楽村
- 平成29年4月、施設使用料金が大幅に値下げされ、利用しやすくなった。 水嶺湖ホール、 江口夜詩 メモリアルコーナー及び市民ギャラリーからなる中核施設。249席の小ホールは、音響設計をヤマハが手掛けており、プロ演奏家からも高く評価されている。事務所にて 江口夜詩 のCDを販売中。 音楽練習、リハーサルに最適なスタジオ。ドラムセ
- 石本美由起
- 年、高橋掬太郎が主宰する歌謡同人誌『歌謡文芸』に投稿を始める。夢中になった白秋の 詩 『思い出』の中の一篇「ザボンのかげ」からインスピィレーションを得て「長崎のザボン売り」という 詩 を書き、同人誌に投稿すると、作曲家 江口夜詩 の目にとまり、1948年に小畑実の歌でレコード発売され大ヒットした。1950年暮
- 講談社
- 補作:西條八十 作曲: 江口夜詩 1951年(昭和26年)2月に社内で歌詞を募集し、最終候補作5篇を選定したがいずれも採用に至らなかったため社員5名の合作扱いとし、西條八十が補作した。歌詞の完成後、 江口夜詩 に作曲を依頼し12月17日の本社 記念 日式典で発表演奏が行われる。キングレコードが 江口
- 12月8日
- 1970年 - 安藤忍、プロ野球監督(* 1895年) 1978年 - ゴルダ・メイア、第4代イスラエル首相(* 1898年) 1978年 - 江口夜詩 、作曲家(* 1903年) 1980年 - ジョン・レノン、音楽家(* 1940年) 1982年 - 諸橋轍次、漢字研究家、『大漢和辞典』編者(*
- 7月1日
- 1902年 - ウィリアム・ワイラー、映画監督(+ 1981年) 1903年 - エミー・ジョンソン、パイロット(+ 1941年) 1903年 - 江口夜詩 、作曲家(+ 1978年) 1906年 - エスティ・ローダー、エスティローダー創業者(+ 2004年) 1906年 - ジャン・デュドネ、数学者(+
- 大垣市
- 文化・芸術・技術 孫六兼元(刀工・最上大業物) 村正(刀工。初代が大垣市赤坂出身という説がある) 久富隆司(ミュージシャン - 元BO GUMBOS) 江口夜詩 (作曲家) 大橋翠石(日本画家) 大橋万峰(日本画家) 高屋肖哲(日本画家) 守屋多々志(日本画家) 後藤大秀(からくり人形師・大垣市教育功労賞・
企業データ
PAGE TOP