徳源院
基本情報
- 所在地
- 〒113-0021
東京都文京区本駒込3丁目7-14
- TEL / FAX
-
03-3821-1653
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
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- 徳源院
- 徳源院 (とくげんいん)は、以下の人物、寺院などの 院 号。 足利氏姫 - 古河公方足利義氏の娘で、古河公方家の名目上の当主。足利(喜連川)国朝、のちその弟頼氏の妻。 徳源院 (古河市) - 茨城県古河市にあった臨済宗の寺院。古河公方ゆかりの寺院だった。 徳源院 (文京区) - 東京都文京区にある臨済宗の寺院。
- 徳源院 (米原市)
- 京極氏の菩提寺であった近江清瀧寺を復興、付近に散在していた墓碑を一カ所に集めて整理し、三重塔を寄進、また歴代当主の墓を集めて並べ、 院 号を父・京極高和の法名に基づき 徳源院 と改めた。この三重塔は、1973年に滋賀県の有形文化財に指定されている。 本堂 位牌堂 客殿 庭園 三重塔 京極家墓所 - 京極家歴代の宝篋印塔が並んでいる。
- 徳源院 (古河市)
- 徳源院 (とくげんいん)は、茨城県古河市鴻巣字 徳源院 にあった臨済宗の寺院。鎌倉・円覚寺の末寺。山号を興王山、 院 号を 徳源院 という。明治初期に廃寺となり、現在は古河総合公園の中に跡地が残されている。古河公方ゆかりの寺院であった。 江戸時代後期に書かれた『古河志』・『許我志』では、天正10年(1582年)
- 米原市
- 上平寺城 - 京極氏の後期の居城 京極氏館跡 - 伊吹神社境内 土肥氏館跡 主な寺院 青岸寺(国の名勝) 観音寺 徳源院 福田寺 松尾寺(九重塔、鰐口は国の重要文化財) 了 徳 寺 - 了 徳 寺のオハツキイチョウ 蓮華寺 主な神社 泉神社 - 泉神社湧水(名水百選) 伊吹神社 湯谷神社 筑摩神社 坂田神明宮
- 織田高長
- 寛永9年(1632年)、信雄の菩提寺を建立し、信雄の法名の 徳源院 から 徳源 寺とした。万治2年(1659年)12月23日、隠居して次男・長頼に家督を譲る。以後、一岩と号した。 延宝2年(1674年)8月18日、大和松山にて死去、享年83。松山・ 徳源 寺に埋葬された。後に織田家の柏原転封にともなって、信雄か
- 滋賀県指定文化財一覧
- 永源寺山門〔東近江市〕 延暦寺阿弥陀堂鐘楼〔大津市〕 延暦寺四季講堂〔大津市〕 慈眼堂〔大津市〕 西川家住宅〔近江八幡市〕 徳源院 三重塔〔米原市〕 吉田家住宅〔近江八幡市〕 近江国絵図〔大津市〕 長命寺文書、「楽書誤証文」他5474点〔近江八幡市〕-2008年7月23日指定 近江輿地志略
- 佐々木氏信
- 文永2年(1265年)に引付衆、翌年には評定衆に加わり、弘安6年(1283年)には近江守へと任ぜられ、この頃には後に京極氏の菩提寺となる清滝寺(後の 徳源院 )を創建している。永仁3年(1295年)5月3日、死去。享年76。 長男の頼氏は桐谷に住み別家を立てた。次男の範頼、三男の満信は共に早世したため、四男の宗綱が家督を継ぐ。
- 京極持清
- てきた出雲の守護代尼子経久(清定の子)に出雲を奪われ、そのことによりさらなる内紛が起こる(京極騒乱)。 法名は宝生寺月林生観。墓所は滋賀県米原市の 徳源院 で、歴代当主と並んで宝篋印塔が置かれている。 尼子清定(清貞)(京極氏一門、出雲国守護代、経久の父) 浅井清政? 多賀清直(家臣、多賀氏出雲守家)
- 崇源院
- 源院 殿」に「そうげんゐんでん」と読み仮名がつけられているので、当時は「そうげんいん」と呼ばれていたと考えられる。平成22年(2010年)6月に祐天寺で徳川家康像が安置されていた宮殿(厨子)を修理のため解体したところ、柱に「寛永五年辰九月拾五日御建立宗 源院
- 足利氏姫
- 性。文献などでは「氏姫」、「氏女」と表記されることが多い 。 院 号は 徳源院 。長く分裂して対立してきた古河公方家と小弓公方家を統合し、喜連川公方家への橋渡しをする役割を担った。 天正2年(1574年)、第5代古河公方足利義氏と北条氏康の娘浄光 院 との間に生まれる。 天正11年(1583年)に父が死去すると
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