小豆沢神社
基本情報
- 所在地
- 〒174-0051
東京都板橋区小豆沢4丁目16-5
- TEL / FAX
-
03-3965-6097
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 神社
- コメント
- 最寄り駅
- 都営三田線 志村坂上 610m
- JR埼京線 北赤羽 960m
- 都営三田線 志村三丁目 1230m
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- 小豆沢神社
- 小豆沢神社 (あずさわじんじゃ)は、東京都板橋区の 神社 。 創建年代は不明であるが、一説では康平年間(1058年~1065年)に源義家によって勧請されたといわれている。江戸時代は「十二天社」と呼ばれており、 小豆沢 村の鎮守であった。 1869年(明治2年)、「 小豆沢神社 」に改称された。
- 小豆沢
- 日本 > 東京都 > 板橋区 > 小豆沢 小豆沢 (あずさわ)は、東京都板橋区の町名。現行行政地名は 小豆沢 一丁目~四丁目。全域で住居表示が実施されている。 東京都板橋区北東部に位置する。北端で新河岸川に接する。北で新河岸川を隔てて北区浮間、東で北区赤羽北および桐ケ丘、南で北区赤羽西および蓮沼町、西で
- 板橋区
- 小豆沢 一丁目団地(志村 市街地住宅 賃貸65 1964年 現存、現志村一丁目。譲渡返還) 日本住宅公団 小豆沢 団地( 小豆沢 、賃貸 1956年) 都営 小豆沢 一丁目アパート( 小豆沢 1-19、1971年) 都営 小豆沢 一丁目第2アパート( 小豆沢 1-20、1971年) 都営 小豆沢 三丁目アパート( 小豆沢 3-7、1996年)
- 志村 (東京府)
- くからこのあたりの中心地であったことがわかる。 江戸時代となると大半が江戸幕府の天領となった。志村城の二の丸に築城以前からある熊野 神社 は、江戸時代には志村だけでなく 小豆沢 村、蓮沼村、前野村、中台村、西台村、根葉村の総鎮守だった。また、荒川の氾濫原であった草原は志村ヶ原(志村の原、下の原)と呼ばれるよ
- 熊野神社 (板橋区志村)
- として祀られている。社殿は昭和32年(1957年)改築されている。 石 神社 稲荷 神社 八幡 神社 志村1~3丁目 坂下1丁目 東坂下1丁目 小豆沢 1~2丁目、3丁目の一部 熊野 神社 宮司の兼務社は以下の通り。 小豆沢神社 西熊野 神社 都営地下鉄三田線・志村三丁目駅より徒歩約3分。 拝観は無料。 [脚注の使い方]
- 八幡平駅
- 幡平字小山にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)花輪線の駅である。 1931年(昭和6年)10月17日:鉄道省花輪線田山駅 - 陸中花輪駅間延伸時に 小豆沢 駅(あずきざわえき)として開設。当時は鹿角郡宮川村に所在。 1956年(昭和31年)6月15日:宮川村が曙村と合併、八幡平村発足。
- 大日堂舞楽
- 舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落( 小豆沢 、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している。当日、能衆らは早朝より舞台元の舞(神子、神名手、田楽、権現の舞)を行ってから隊列を組んで大日堂へ参進し、午前8時の修祓を経て 神社 の階下や堂内にて舞・儀式・祭典を繰り広げる。次いで9時
- 岩淵町
- 1873年(明治6年)3月:東京府は府内全域を十一大区に再編する区画改正を行い、岩淵本宿町、稲付村、赤羽村、袋村、下村、神谷村は王子村、豊島村、上十条村、下十条村、 小豆沢 村、本蓮沼村、八官新田と共に第九大区六小区(区事務取扱所は上十条村、戸長は岩淵本宿町名主小田切重路)となる。
- 志村 (板橋区)
- 志村(しむら)は、東京都板橋区の町名。現行行政地名は志村一丁目から三丁目。全域で住居表示が実施されている。 板橋区の北東部に位置する。北で坂下、東で 小豆沢 、南で大原町、南西で前野町、西で相生町と隣接する。町域の東北辺を国道17号(中山道)、北西辺を東京都道311号環状八号線(環八通り)、北部を都営地
- 国際興業バス志村営業所
- - 小豆沢 公園 - 志村三丁目駅 - 蓮根一丁目 - 大東文化大学 - 紅梅小学校 - 四葉町 - 赤塚小学校 - 成増駅北口 赤02-2:志村三丁目駅 - 蓮根一丁目 - 大東文化大学 - 紅梅小学校 - 四葉町 - 赤塚小学校 - 成増駅北口 赤83:赤羽駅西口 - 北赤羽駅入口 - 小豆沢 公園
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