祐泉寺
基本情報
- 所在地
- 〒505-0042
岐阜県美濃加茂市太田本町2丁目3-14
- TEL / FAX
-
0574-25-2364
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
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- 長良川鉄道越美南線 美濃太田 880m
- JR太多線 美濃太田 880m
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- 祐泉寺
- 祐泉寺 (ゆうせんじ)は、岐阜県美濃加茂市太田本町にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は龍興山。美濃三十三観音二十七番、中濃八十八ヶ所霊場七十番。 文明6年(1474年)、加茂郡和知村出身で大仙寺を開山した東陽英朝(大道真源禅師)が、当地に涌泉庵という草庵を結んだことを始まりとする。
- 伊豆国分寺
- 僧寺東方に所在する 祐泉寺 には、裏手に「市ヶ原廃寺」と呼ばれる寺院跡がある。 祐泉寺 境内には塔礎石が残されており、この廃寺が薬師寺式伽藍配置であったとする説がある。この礎石は三島市の文化財(考古資料)に指定されている。また、 祐泉寺 の南方に位置する法華寺は国分尼寺の後継と伝えられる。
- 志賀重昂
- 翌年に遺言により分骨されて岐阜県美濃加茂市の 祐泉寺 にも墓が作られた。 昭和10年(1935年)、イギリスとブラジルの両国から地理学協会の名誉会員としての功績を賞され、両国から方五寸角の記念石が贈られ、遺族の申し出により、 祐泉寺 にある墓の台座の左右に嵌め込まれた。
- 北条綱重
- 水太郎左衛門、笠原為継、荒川長宗ら城将は悉く討死した。綱重は真田幸隆・信綱親子率いる真田勢に討ち取られたという(真田文書)。 墓所は静岡県三島市の 祐泉寺 。戒名は三光院殿孝誉良玄大居士、家督は嫡男氏隆が継いだ。 [脚注の使い方] ^ a b c d e f 下山(2006)pp.558-559
- 太田町 (岐阜県)
- 太田町立太田中学校(1960年に加茂野中学校、蜂屋中学校、太田中学校の3校が統合され、現・美濃加茂市立西中学校) 国鉄高山本線・太多線・越美南線 美濃太田駅 日本ライン 縣主神社 祐泉寺 中山道太田宿 本陣門 脇本陣 坪内逍遥 林小一郎(衆議院議員、10代桑原善吉の兄) 10代桑原善吉(旧姓・林、材木商、貴族院多額納税者議員) [脚注の使い方]
- 播隆
- 天保11年(1840年) - 美濃国太田(現・岐阜県美濃加茂市)の脇本陣の林市左衛門宅でその生涯を閉じた。美濃加茂市の 祐泉寺 には墓と、「世の人の 恐れ憚る槍の穂も やがて登らん われ始めて」という歌碑がある。 [脚注の使い方] ^ “地図閲覧サービス「播隆平」”. 国土地理院
- 東陽英朝
- 文明6年(1474年)、加茂郡の太田に涌泉庵という草庵を結んだ。この草案が、後に 祐泉寺 となった。 文明10年(1478年)に印可を受けた後、雪江宗深が住持をしていた丹波国竜興寺の住持となった。 文明13年(1481年)に大徳寺の住持となるが、翌年竜興寺へ戻った。 その後、尾張国瑞 泉寺 の住持となり、さらに妙心寺へ移って長享3年(1489年)から3年間同寺の住職となった。
- 第六天神社
- 〜こころの散歩道〜』(かなしん出版/監修:神奈川県神社庁 平成9年 (1997年) 10月20日), p83 ^ 他にもあった第六天 全国編(臨済宗 祐泉寺 のサイト内) ^ その正体は欲望の神様!? なぜ織田信長は「第六天魔王」と呼ばれたか(戦国ポータルサイト 武将ジャパン) ^ 高木神社(東京都神社庁)
- 願証寺
- 香取庄中郷杉江の地に創建された。あるいは、法 泉寺 (現・桑名市多度町香取)を開いた信慶の次男信 祐 により、文永元年(1264年)に開山され、願証寺の号は本願寺3世覚如より与えられたともいわれる。なお、当初の願証寺主は法 泉寺 主が兼帯しており、蓮淳は空誓(法 泉寺 7世)の娘を室とする願証寺の堯恵から寺を譲ら
- 真宗大谷派
- 1–15. ^ 柏原 祐泉 『近代大谷派の教団』P.45。 ^ a b 嚴如…旧字体が正式表記。「厳如」と新字体で表記する場合もある。 ^ 柏原 祐泉 『近代大谷派の教団』P.136。 ^ 大谷派寺法第四条 法主ハ宗祖以来ノ血脈伝灯ノ善知識ニシテ、本山本願寺ノ住職タルモノトス。(柏原 祐泉 『近代大谷派の教団』P
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