飛騨護国神社
基本情報
- 所在地
- 〒506-0837
岐阜県高山市堀端町90
- TEL / FAX
-
0577-32-0274 / 0577-34-8982
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 神社
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- 飛騨護國神社
- 飛騨護 國 神社 (ひだごこくじんじゃ)は、岐阜県高山市にある 神社 ( 護国神社 )である。 西南戦争から大東亜戦争(太平洋戦争)までの 飛騨 (高山市・ 飛騨 市・下呂市・白川村)出身の戦没者を祀る。 戦前は、後の 神社 本庁設立母体となる3団体(大日本神祇会・皇典講究所・神宮奉斎会)の地方組織である「 飛騨
- 護国神社
- を含めて、どこの出身者であっても祀られる対象となる点が異なっている。 ^ 岐阜県の 飛騨護 國 神社 、長崎県の壱岐護國 神社 など一部例外も存在する。 ^ 岐阜県の 飛騨護 國 神社 は、主要 護国神社 の一社ではあるものの、指定 護国神社 ではない。 ^ 1930年(昭和5年)に建立された仏式の慰霊施設である東京都慰霊堂
- 別表神社
- 近代」は近代社格制度の社格(官大=官幣大社、国中=国幣中社、別官=別格官幣社、 護国 =内務大臣指定 護国神社 )。「加列年」は、旧官国幣社で昭和23年(1948年)の制度開始時点で本庁被包括であったものについては当初より別表 神社 であるので、一律で1948年と記載している。旧官国幣社で、1948年以降に本庁
- 城山公園 (高山市)
- 飛騨 ・美濃さくら三十三選に選定されている。 森林が整備され緑の多い公園である。紅葉の名所であり、野鳥の観察が可能である。 園内には高山城の曲輪、堀、石垣、土塁などの遺構が残り、城跡は県指定史跡である。 園内には金森長近(高山城城主)、広瀬武夫(日露戦争の軍人)の銅像がある。 飛騨護国神社 日枝 神社
- 近代社格制度
- 国神社 は陸軍省から、供進金があった。当初は官幣社のみに菊花紋章の社殿の装飾への使用が認められたが、明治7年(1874年)に国幣社にも認められた。 国幣大社は当初から指定された 神社 はなく、大正4年(1915年)に国幣中社の気多 神社 ・大山祇 神社 ・高良 神社 、県社の多度 神社
- 神社一覧
- 八坂 神社 (大阪府堺市美原区大饗) 屋島 神社 (高松市屋島東町) 靖 国神社 (東京都千代田区) 八代宮(熊本県八代市) 八代 神社 (熊本県八代市) 梁川八幡 神社 (福島県伊達市) 矢作 神社 (愛知県岡崎市) 彌彦 神社 (新潟県) 山内 神社 (高知県) 山 国神社 (京都市右京区) 山津照 神社 (滋賀県米原市) 山住 神社 (静岡県浜松市)
- 岐阜護國神社
- 岐阜県内には、1870年(明治3年)に大垣城内に大垣招魂社(後の濃飛護國神社)、1909年(明治42年)に高山城址に 飛騨 招魂社(後の 飛騨護 國 神社 )が創建されていたが、岐阜市ほか10郡には招魂社がなかった。日露戦争後の1908年(明治41年)、岐阜市郊外の稲葉郡北長森村(現・岐阜市
- 飛騨高山まちの博物館
- - 整備事業に伴い一時休館。 2011年(平成23年) - 飛騨 高山まちの博物館として再オープン 三町伝統的建造物群保存地区 藤井美術民芸館、高山市政記念館 飛騨護国神社 高山別院 照蓮寺 中野照蓮寺 城山公園(高山城址) 高山陣屋 飛騨 高山まちの体験交流館 ^ a b “高山市郷土館”. 高山市
- 濃飛護國神社
- 濃飛護國 神社 (のうひごこくじんじゃ)は、岐阜県大垣市にある 神社 ( 護国神社 )。 大垣城址(大垣公園)に鎮座する。岐阜県(主として西濃・ 飛騨 地方)出身の戦没者1万8900余柱を祀る。 1869年(明治2年)8月、旧大垣藩主・戸田氏共が戊辰戦争に参加した大垣藩士の戦死者54名を祀るため、大垣城下の操練場に
- 杉野孫七
- 級金鵄勲章ならびに勲六等単光旭日章が追贈された。 その死は広瀬と共に顕彰され、万世橋駅前に広瀬と共に銅像が建てられた(戦後に撤去された)。他にも 飛騨護国神社 などに碑が建てられている他、文部省唱歌『廣瀬中佐』の題材ともなった。まだ、出生地である三重県鈴鹿市磯山駅近くにも碑が建てられている。
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