日前宮
基本情報
- 所在地
- 〒640-8322
和歌山県和歌山市秋月365
- TEL / FAX
-
073-471-3730 / 073-474-3869
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 神社
- コメント
- 最寄り駅
- わかやま電鉄貴志川線 日前宮 170m
- わかやま電鉄貴志川線 田中口 880m
- わかやま電鉄貴志川線 和歌山 1090m
- JR和歌山線 和歌山 1140m
- JR阪和線 和歌山 1140m
- JR紀勢本線 和歌山 1140m
- 周辺情報
- 日前神宮・國懸神宮 神社
- 和歌山市立日進中学校 中学
- 日前宮駅(わかやま電鉄) 駅(他社線)
- 和歌山県立向陽中学校 中学
- 和歌山県立向陽高校 高校
- 和歌山市立宮小学校 小学
- 日前幼稚園 幼稚園
- 出光和歌山インターチェンジSS 出光
- 出光秋月SS 出光
- エバグリーン宮街道店 ドラッグストア
- 源ぺい宮街道店 その他のファミリーレストラン
- 和歌山秋月郵便局 中央、普通郵便局、特定郵便局、簡易郵便局
- すき家和歌山秋月店 すき家
- マクドナルド和歌山宮街道店 マクドナルド
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- コスモ石油セルフ和歌山インター コスモ石油
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- 日前神宮・國懸神宮
- 日前 神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)は、和歌山県和歌山市にある神社。1つの境内に 日前 神宮・國懸神宮の2つの神社があり、総称して 日前宮 (にちぜんぐう)あるいは名草宮とも呼ばれる。 両社とも式内社(名神大)、紀伊国一宮で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁に属さない単立神社。
- 日前宮駅
- 日前宮 駅(にちぜんぐうえき)は、和歌山県和歌山市有家にある和歌山電鐵貴志川線の駅。駅番号は03。 紀伊国の一の宮たる 日前宮 の最寄り駅である。 1916年(大正5年)2月15日:山東軽便鉄道の大橋駅 - 山東駅(現在の伊太祈曽駅)間の開通とともに秋月駅として開業。
- 和歌山電鐵貴志川線
- 駅数:14駅(起終点駅含む。有人駅は和歌山駅・伊太祈曽駅) 複線区間:なし(全線単線) 電化区間:全線電化(直流1500V) 閉塞方式:自動閉塞式 交換可能駅:3か所( 日前宮 駅、岡崎前駅、伊太祈曽駅) かつては竈山駅、大池遊園駅、甘露寺前駅でも交換可能であった。 最高速度:60km/h
- 和歌山県立向陽中学校・高等学校
- 東隣には紀伊国一の宮である 日前 神宮・國懸神宮が鎮座しているため、広大な森が存在している。さらに学校の敷地も広いため校内にも多くの樹木があり、中には貴重な木々も存在する。市街地に立地している中学校・高校ではあるが環境は比較的良好である。 また正門を出ればすぐにバス停があり、徒歩1分の場所に 日前宮
- 伊太祁曽神社
- 御鎮座の時期については明らかでないが、『続日本紀』の文武天皇大宝2年(702年)の記事が初見になる。古くは現在の 日前宮 ( 日前 神宮・國懸神宮)の地に祀られていたが、垂仁天皇16年に 日前 神・国懸神が同所で祀られることになったので、その地を明け渡したと社伝に伝える。その際、現在地の近くの「亥の杜」に遷
- 天道根命
- 『国造次第』によれば神武天皇によって初代の紀伊国造に任じられた。 異伝として『紀伊続風土記』所載の「国造家譜」は、 日前 大神と国懸大神(紀伊国造が奉斎する和歌山県和歌山市秋月鎮座の 日前宮 の祭神)の降臨に随従して以後両大神に仕え、後に神武天皇の東征に際して両大神の神体である日像鏡と日矛の2種の神宝を奉
- 田中口駅
- 山駅(現在の紀和駅)から箕島駅まで開通し、東和歌山駅(現在の和歌山駅)が開業した。山東軽便鉄道はこの東和歌山駅に乗り入れをするため、秋月駅(現在の 日前宮 駅)から新しく東和歌山駅までの路線を開通させてそちらを使用することとした。この駅のある位置の西方700メートルほどの場所の旧線上にあった大橋駅は、
- 紀三井寺
- 日前 國懸社と深い関係にあると見られていたことが分かる。嘉禎4年(1238年)の 日前宮 文書によれば、毛見郷は 日前宮 領に属し、名草山を「三井之神山」と称しているほか、 日前 國懸社神主家57代国造紀俊文の詠歌にも名草山の名が見える。また、応永年間(1394年 - 1428年)には、 日前
- 日前国懸神宮と高大明神の用水相論
- 日前 国懸神宮と高大明神の用水相論(ひのくまくにかかすじんぐう-と-こうだいみょうじん-の-ようすいそうろん)は、室町時代の紀伊国(現和歌山県)で発生した灌漑用水をめぐる 日前 国懸神宮(以下「 日前宮 」と略す)と和佐庄という荘園の間の相論(訴訟を伴う紛争)である。当事者の一方である後者が 日前宮
- 竈山神社
- 竈山神」と記載されている。また『延喜式』諸陵寮では「竈山墓」の記載も見える(後述)。 永徳元年(1381年)の 日前宮 文書では、鵜飼新五郎の紀国造家からの神主補任の記載があり、以降中世を通じて鵜飼家が神職を世襲していたとされる。
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