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徳源院

基本情報

所在地
〒521-0203
滋賀県米原市清滝288
TEL / FAX
0749-57-0047
e-MAIL
URL
業種
寺院
コメント
最寄り駅
JR東海道本線 柏原 1330m
JR東海道本線 近江長岡 2030m
JR東海道本線 醒ヶ井 4370m
周辺情報
徳源院(清滝寺) 仏閣(寺、観音、不動、薬師)(増強用)
米原市立柏原中学校 中学

関連情報

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徳源院
徳源院 (とくげんいん)は、以下の人物、寺院などの 院 号。 足利氏姫 - 古河公方足利義氏の娘で、古河公方家の名目上の当主。足利(喜連川)国朝、のちその弟頼氏の妻。 徳源院 (古河市) - 茨城県古河市にあった臨済宗の寺院。古河公方ゆかりの寺院だった。 徳源院 (文京区) - 東京都文京区にある臨済宗の寺院。
徳源院 (米原市)
京極氏の菩提寺であった近江清瀧寺を復興、付近に散在していた墓碑を一カ所に集めて整理し、三重塔を寄進、また歴代当主の墓を集めて並べ、 院 号を父・京極高和の法名に基づき 徳源院 と改めた。この三重塔は、1973年に滋賀県の有形文化財に指定されている。 本堂 位牌堂 客殿 庭園 三重塔 京極家墓所 - 京極家歴代の宝篋印塔が並んでいる。
徳源院 (古河市)
徳源院 (とくげんいん)は、茨城県古河市鴻巣字 徳源院 にあった臨済宗の寺院。鎌倉・円覚寺の末寺。山号を興王山、 院 号を 徳源院 という。明治初期に廃寺となり、現在は古河総合公園の中に跡地が残されている。古河公方ゆかりの寺院であった。 江戸時代後期に書かれた『古河志』・『許我志』では、天正10年(1582年)
米原市
上平寺城 - 京極氏の後期の居城 京極氏館跡 - 伊吹神社境内 土肥氏館跡 主な寺院 青岸寺(国の名勝) 観音寺 徳源院 福田寺 松尾寺(九重塔、鰐口は国の重要文化財) 了 徳 寺 - 了 徳 寺のオハツキイチョウ 蓮華寺 主な神社 泉神社 - 泉神社湧水(名水百選) 伊吹神社 湯谷神社 筑摩神社 坂田神明宮
織田高長
寛永9年(1632年)、信雄の菩提寺を建立し、信雄の法名の 徳源院 から 徳源 寺とした。万治2年(1659年)12月23日、隠居して次男・長頼に家督を譲る。以後、一岩と号した。 延宝2年(1674年)8月18日、大和松山にて死去、享年83。松山・ 徳源 寺に埋葬された。後に織田家の柏原転封にともなって、信雄か
滋賀県指定文化財一覧
永源寺山門〔東近江市〕 延暦寺阿弥陀堂鐘楼〔大津市〕 延暦寺四季講堂〔大津市〕 慈眼堂〔大津市〕 西川家住宅〔近江八幡市〕 徳源院 三重塔〔米原市〕 吉田家住宅〔近江八幡市〕 近江国絵図〔大津市〕 長命寺文書、「楽書誤証文」他5474点〔近江八幡市〕-2008年7月23日指定 近江輿地志略
佐々木氏信
文永2年(1265年)に引付衆、翌年には評定衆に加わり、弘安6年(1283年)には近江守へと任ぜられ、この頃には後に京極氏の菩提寺となる清滝寺(後の 徳源院 )を創建している。永仁3年(1295年)5月3日、死去。享年76。 長男の頼氏は桐谷に住み別家を立てた。次男の範頼、三男の満信は共に早世したため、四男の宗綱が家督を継ぐ。
崇源院
源院 殿」に「そうげんゐんでん」と読み仮名がつけられているので、当時は「そうげんいん」と呼ばれていたと考えられる。平成22年(2010年)6月に祐天寺で徳川家康像が安置されていた宮殿(厨子)を修理のため解体したところ、柱に「寛永五年辰九月拾五日御建立宗 源院
京極持清
てきた出雲の守護代尼子経久(清定の子)に出雲を奪われ、そのことによりさらなる内紛が起こる(京極騒乱)。 法名は宝生寺月林生観。墓所は滋賀県米原市の 徳源院 で、歴代当主と並んで宝篋印塔が置かれている。 尼子清定(清貞)(京極氏一門、出雲国守護代、経久の父) 浅井清政? 多賀清直(家臣、多賀氏出雲守家)
古河総合公園
さな方は足利義氏のものとされ、茨城県指定文化財(史跡)となっている。本院は当初、第3代・足利高基室の法号により「瑞雲 院 」と称し、次に第4代・足利晴氏室法号の「芳春 院 」、最後に「 徳源院 」と改められたと考えられており、公方家代々の女性にゆかりが深い寺院であった。

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