長延寺
基本情報
- 所在地
- 〒860-0863
熊本県熊本市中央区坪井3丁目9-43
- TEL / FAX
-
096-343-6024
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
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- 長延寺
- 長延寺 (ちょうえんじ)は、東京都杉並区和田一丁目にある曹洞宗の寺院。山号は萬昌山(ばんしょうざん)。 かつては江戸市ヶ谷に所在した 寺 で、旧地には市谷 長延寺 町という地名が残る。境内に「ぼたもち地蔵」があり、「ぼたもち 寺 」の別称がある。 文禄3年(1596年)、江戸市谷に創建。実質的な開山者は笑岩長闇で
- 市谷長延寺町
- 日本 > 東京都 > 新宿区 > 市谷 長延寺 町 市谷 長延寺 町(いちがやちょうえんじまち)は、東京都新宿区の町名。「丁目」の設定のない単独町名である。住居表示未実施。 新宿区の東部に位置する。町域の東部は、市谷砂土原町に、南部から西部は市谷左内町に接し、北側の一部は市谷鷹匠町に接する(地名はいずれも新
- 市谷
- 市ヶ谷田町下二丁目 市ヶ谷田町三丁目 市ヶ谷田町四丁目 市ヶ谷八幡町 市ヶ谷左内坂町 市ヶ谷上寺町 市ヶ谷船河原町 市ヶ谷教蔵院門前 市ヶ谷七軒町 市ヶ谷 長延寺 谷町 市ヶ谷 長延寺 門前 市ヶ谷平山町 市ヶ谷元土取場町 市ヶ谷甲良屋敷 市ヶ谷松雲寺門前 市ヶ谷柳町 市ヶ谷清内屋敷 市ヶ谷南寺町 市ヶ谷薬王寺前町 市ヶ谷本村町
- 牛込区
- 込横寺町、牛込若松町、牛込若宮町、牛込早稲田町、牛込早稲田南町、大久保余丁町 改称して現存する町丁 市ヶ谷左内坂町(現市谷左内町) 市ヶ谷 長延寺 谷町(現市谷 長延寺 町) 市ヶ谷薬王寺前町(現市谷薬王寺町) 牛込津久土前町(現津久戸町) 牛込仲町(現中町) 現存しない町丁 市ヶ谷谷町(現住吉町、市谷台町)
- 今川義彰
- 文政元年(1818年)8月17日死去、享年63。 『寛政重修諸家譜』は子女として義用と養女を載せる。 長延寺 過去帳によると実子は2男3女。家督を継いだ義用以外の1男3女は夭折し、死去日と法名しかわからない。また、今川の遠い同族である瀬名貞如の娘を養女としている。いずれも 長延寺 に葬られている。 父母 父:今川義泰 母:盛寿院(某氏) 妻 正室
- 今川直房
- の観泉寺(現:東京都杉並区今川)に移し、観泉寺の開基を氏真として今川家代々の菩提寺とした。直房は氏真の弟一月長得が修行した 長延寺 の開基となっており、高家今川家代々の当主は 長延寺 に葬られている。 『寛政重修諸家譜』によると、実子は3男2女である。嫡男範明と二男範興が早世したため、直房の妹の孫にあたる氏堯(岡山弥清の子)に家督を継がせた。
- 今川義泰
- 安永4年(1775年)7月9日、病気のため高家職を辞す。天明4年(1784年)閏1月18日死去、54歳。菩提寺である 長延寺 に葬られた。 『寛政重修諸家譜』によれば、1男がある。 父母 父:今川範主 母:某氏 養父:今川範彦(実兄) 妻妾 正室:喜連川茂氏(喜連川藩主)の三女。
- 武田信道
- 長延寺 (現在の東本願寺甲府別院光澤 寺 )において信玄の御伽衆の一人であった実了(母がのちに再嫁していた)の養子となり出家する。織田軍による残党狩りの際には、信濃国安曇郡犬飼村へ逃れ身を潜めていた。本能寺の変で織田信長が横死したのち甲斐国は徳川家康の領地となり、信道は家康と甲府尊体 寺
- 武田信清
- 武田信玄の六男(七男の説もある)。母は信濃国小県郡の禰津氏の娘である禰津御寮人であるという。正室は甲府城下の 長延寺 住職である実了師慶( 長延寺 実了)の娘。色部清長は孫にあたる。 永禄10年(1567年)、信玄の命により巨摩郡加賀美(南アルプス市加賀美)の法善寺に入り、玄竜と号
- 今川範叙
- 範叙のその後はほぼ不明であるが、明治13年(1880年)5月に長女が結婚した折、浅草区向柳原(現:台東区浅草橋)の士族の家に同居していたことが確認できる。 長延寺 過去帳によると、明治20年(1887年)11月3日死去。 静岡臨済寺の今川廟には、範叙の筆になる扁額が残されている。
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