労音
基本情報
- 所在地
- 〒169-0072
東京都新宿区大久保1丁目9-10
- TEL / FAX
-
03-5273-0801
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 会館・ホール,音楽ホール
- コメント
- 最寄り駅
- 東京メトロ副都心線 東新宿 310m
- 都営大江戸線 東新宿 380m
- JR山手線 新大久保 410m
- 西武新宿線 西武新宿 630m
- 周辺情報
- 労音大久保会館 ホール・会館
- 新宿日曜大工センター ホームセンター
- 新宿区立大久保小学校 小学
- 肉のハナマサ新宿店 その他のスーパーマーケット
- ゆうちょ銀行本店大久保2丁目出張所 ゆうちょ銀行
- サンクス新大久保店 サンクス
- いきなりステーキ大久保店 その他のファミリーレストラン
- セブンイレブン新宿大久保通り店 セブン-イレブン
- マツモトキヨシ大久保一丁目店 ドラッグストア
- ローソン新大久保店 ローソン
- 全龍寺 仏閣(寺、観音、不動、薬師)(増強用)
- Can★Do新大久保店 100円ショップ
- 新宿区立大久保幼稚園 幼稚園
- 新宿大久保郵便局 中央、普通郵便局、特定郵便局、簡易郵便局
- スリーエフ新大久保店 スリーエフ
- ほっぺるランド新大久保 保育所
- ファミリーマート東新宿駅西店 ファミリーマート
- エイビイシイ保育園分園 保育所
ウィキペディア検索
- 勤労者音楽協議会
- 1955年、第1回全国 労音 連絡会議が開催(地域 労音 20、会員数13万人となる)。 1956年3月、金沢市に金沢 労音 が発足。 1956年11月、福井市に福井 労音 が誕生。 1957年9月、函館 労音 が結成。 1959年、77 労音 、会員32万人、1965年には192 労音 、会員65万人を超す巨大組織に成長。
- 須藤五郎
- 委員長は春日野八千代・天津乙女)が不当解雇の憂き目に遭う。1948年に共産党に入党、1949年11月に大阪で結成された「関西勤労者音楽協議会」(関西 労音 )の初代会長となる。1950年6月4日の第2回参議院議員通常選挙で全国区から出馬し初当選。以後1959年、65年、71年の各参院選において、初当選時
- 大塚博堂
- 4月20日「 労音 コンサート」 - 有楽町・よみうりホール 5月 - 6月頃 「真駒内コンサート」 - 真駒内区民センター 5月28日 「新潟市コンサート」 - 新潟市公会堂 10月「 労音 コンサート」 - 荒川区民会館 11月5日 - 日本青年館(タイム・ファイブとのジョイントライブ) 11月「 労音 コンサート」
- 藤田敏雄
- としお、1928年 - 2020年9月24日)は、日本の劇作家、作詞家、演出家。京都府京都市生まれ。 宝塚歌劇団文芸部を振り出しに、劇団四季を経て、 労音 ミュージカルの制作(脚本、作詞、演出)を担当。日本の創作ミュージカルの草分け的存在。1964年以降は、テレビ朝日の音楽番組『題名のない音楽会』の企画
- むらさきの夜明け
- A面『むらさきの夜明け』は、前年の『真赤な太陽』に続くグループ・サウンズ調の楽曲で、津々美洋とオールスターズ・ワゴンが演奏した。この曲は前年に東京 労音 主催で開催されたひばり芸能生活20周年記念リサイタルで初披露されたが、その時の歌詞はレコード盤と一部が異なっている。
- 俺たちの交響楽
- 佐藤安男:伊東達広 野村文枝:岡本茉莉 紺野節子:熊谷真実 看護婦:左時枝 工場の班長:山谷初男 渋谷勝彦:山本圭 小柳出秀次:田村高廣 合唱団員:川崎 労音 合唱団「エゴラド」団員 応援出演 - 渥美清、倍賞千恵子、下條正巳、三崎千恵子、太宰久雄、佐藤蛾次郎 原案:山田洋次 製作:名島徹 監督:朝間義隆 脚本:朝間義隆・梶浦政男
- 内木志
- 朗読劇「グーとパーでチョキを出す」(2020年12月18日 - 19日、オルタナティブシアター) - アオイ 役 朗読劇「命のバトン2021」(2021年2月18日 - 21日、 労音 大久保会館R'sアートコート) - 花村、大國 役 ANIME&GAME SYMPHONY JAPAN WORLD TOUR 東京公演(2021年2月27日、サントリーホール)
- 新交響楽団 (アマチュア・オーケストラ)
- 1955年2月1日に発足した 労音 アンサンブルが前身である。1956年3月1日、東京 労音 新交響楽団として発足し、翌1957年11月21日に第1回定期演奏会が開かれた。1966年3月15日、東京 労音 より独立した。 1989年の死まで、芥川が音楽監督および常任指揮者
- 内田光子
- とすらままならず、両親がチケットを売りさばくことに苦心していた。本人は「私は日本の音楽大学を出ていなかったから…」と当時を振り返っていた。自主開催や 労音 などの地方公演、恩師である松岡貞子の配慮で開催していた科学技術館・サイエンスホールにおける公開レッスンなど、金銭面では有難かったが非常に不本意な時代だったと回想している。
- 高石ともや
- ・シーガーやボブ・ディランらの歌を訳しフォークソングを歌い始める。1966年7月の大阪YMCAキャンプで初めて人前で歌い、1966年9月19日の大阪 労音 フォーク・ソング愛好会のコンサートが初ステージ。 1966年10月10日、アート・プロモーション主催のコンサート「第2回フォーク・フォーク・フォーク
企業データ
PAGE TOP