最上川舟番所
基本情報
- 所在地
- 〒999-6401
山形県最上郡戸沢村大字古口86-1
- TEL / FAX
-
0233-72-2001
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 観光船,遊覧船
- コメント
- 最寄り駅
- JR陸羽西線 古口 430m
- JR陸羽西線 津谷 3090m
- JR陸羽西線 羽前前波 5210m
- 周辺情報
- 最上峡芭蕉観光 名所・観光地等
- 古口駅(JR) 駅(JR在来線)
- ファミリーマート最上戸沢店 ファミリーマート
- 戸沢村役場 町村役場・東京以外の区役所
- JA山形もがみ古口支店 銀行その他
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- 舟形町
- であった。新庄藩の藩境であったことから、口留 番所 が置かれ、人や物資の監視を厳しく行った。 富田は、 最上川 水運の港のひとつとして繁栄し、新庄藩と天領の境界にも位置していたため、その対岸の堀内には新庄藩の 舟番所 が設置されていた。 明治時代になると、舟形町・ 最上 町・尾花沢市を中心とした地域に、当時岐阜県・
- 戸沢村
- 最上川 と鮭川の合流地点付近にあったと推定されている(現在の鮭川村真木新田とする説もある)。 古くから庄内地方と 最上 地方を結ぶ水運の要であったが、俳人松尾芭蕉が『板敷山』と称した、 最上 峡の厳しい地形にさえぎられ、道路の開削はできなかった。江戸時代には、現在の村の中心である古口集落に新庄藩の船 番所
- 大石田町
- った。舟運で上流部に運ぶ場合でも、三難所があるため、酒田港からの大型の 川舟 はここまでしか入れず、三難所を越えるために小型の 舟 に積み替える必要があり、いずれにしても大石田河港に 舟 を着けなければならなかった。そのため、大石田は 最上川 の港としては最大の物資の集積地として繁栄した。天領であり、大石田川船役
- 猿羽根大橋
- 最上川 に架かる橋で、山形県道187号芦沢停車場実栗屋線が通る。橋の色は赤。尾花沢市北端の毒沢集落と国道13号を結ぶ橋となっており、左岸から右岸に渡るとすぐ国道13号がある。 橋ができる以前、対岸へ渡るための手段は渡し舟であった。毒沢集落にはかつて 最上川舟 運の舟見 番所 があった為、 舟
- 最上川交通
- 最上 地方全域への観光バスツアーを催行している。新庄駅西口に独自の停留所を設けている。運転代行業も営んでおり、 舟 下り利用者の自家用車回送を主に行っている。 最上川 リバーポート - 高屋駅 - 古口駅 - 戸澤藩船 番所 新庄駅前 - 上野口(21条バス) 新庄駅前 - 羽黒山頂(21条バス) 最上
- 舟形街道
- 清水宿( 最上川 の河港。本陣も設置されていた) (本合海河港) 古口宿 清川宿 狩川宿 三ヶ沢宿 手向宿(羽黒山登山口) ※江戸時代は、 最上 峡に現在の国道47号に相当する道路はなく、清水ないしは本合海から、清川までの舟運しか交通手段はなかった。 舟形口留 番所 (新庄藩。羽州街道の関所) 古口 舟番所 (新庄藩)
- 堺田越
- 古来より、現在の仙台市から大和町、加美町、大崎市岩出山を経て太平洋と日本海を結ぶ重要な峠であり、舟形街道の清水河港から 最上川 を 舟 で下って酒田港にいたるルートは、物流のルートとしても、旅のルートとしても使われた。仙台藩(尿前の関)と新庄藩(笹森口留 番所 )がそれぞれ関所を設けていた。江戸時代には俳人松尾芭蕉が、関所番人宅である封人の家(
- 最上峡芭蕉ライン観光
- 最上 峡芭蕉ライン観光株式会社(もがみきょうばしょうラインかんこう)は、山形県 最上 郡戸沢村に本社を置き、同村の 最上 峡を 舟 で運航する企業。 最上 峡( 最上川 )にある古口港(戸沢藩船 番所 、北緯38度44分21.5秒 東経140度9分0.6秒)を起点にし、草薙港(川の駅・ 最上 峡くさなぎ、北緯38度46分1.7秒
- 日本遺産
- 古雪の町並み、新山(日和山)、新山神社奉納物、石脇湊の御 番所 跡、石脇絵図、石脇の町並み、稲荷神社、石脇さんぶつ、本荘八幡神社奉納物、松ヶ崎八幡神社石製狛犬、本荘郷土資料館資料群、宮下神社の船絵馬、清九郎家、三角家、宿根木白山神社、木崎神社、 舟 つなぎ石、念仏橋及び石橋、小木湊古絵図、佐渡の大神楽舞楽
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