浄閑寺
基本情報
- 所在地
- 〒116-0003
東京都荒川区南千住2丁目1-12
- TEL / FAX
-
03-3801-6870
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- 東京メトロ日比谷線 三ノ輪 170m
- 都電荒川線 三ノ輪橋 200m
- 都電荒川線 荒川一中前 460m
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- 浄閑寺
- 浄閑寺 (じょうかんじ)は東京都荒川区南千住にある浄土宗の寺院。山号は栄法山。吉原遊廓の近くにあり、遊女の投げ込み 寺 としても知られる。 地名の三ノ輪から「三ノ輪の 浄閑寺 」と称されることも多い。 1655年に創建され、吉原遊廓の誕生(1657年)よりも2年早い。 寺 の公式サイトによると、同 寺 が投込 寺
- 大東出版社
- 大東出版社(だいとうしゅっぱんしゃ)は、仏教関連を中心とした日本の出版社。浄土宗 浄閑寺 住職の岩野真雄(1893年 - 1968年)が、『国訳一切経』を刊行するために1925年に設立した。 のちに青蛙房を興す岡本経一(岡本綺堂の養嗣子)は、戦前に大東出版社の編集長をつとめており、その時期に森銑三の著作が出されている。
- 吉原遊廓
- 浄閑寺 に投げ込まれた。人間として葬ると後に祟るので、犬や猫なみに扱って畜生道に落とすという迷信によったとものとされているが、逆に畜生道に落とさないための方法ともされる[疑問点 – ノート]。なお、 浄閑寺 のホームページによると、 浄閑寺 が投げ込み 寺
- 吉原 (東京都)
- 吉原の西側、千束3丁目にある神社。11月の酉の市で有名。 浄閑寺 (じょうかんじ) 吉原の北側、荒川区南千住2丁目にある 寺 。1855年の大地震の際、多くの吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから「投込 寺 」と呼ばれるようになった。その後も、身寄りのない遊女たちを葬り、川柳に「生まれては苦界、死しては 浄閑寺
- 清閑寺家
- 清 閑寺 家(せいかんじ け、旧字体:淸 閑寺 )は、藤原北家勧修寺流の公家・華族。公家としての家格は名家、華族としての家格は伯爵家。 藤原高藤の後裔で、吉田経長の子、資房によって創設された。室町時代に一時期中絶したが、江戸時代になって中御門資胤の子・共房が入って再興した。江戸時代の家禄は180石。
- 大杉 (越谷市)
- 大杉公園通り 大杉橋 - 単弦ローゼ橋 第二学校給食センター 越谷市立北体育館 大袋わかば幼稚園 大杉新田集会所 大杉公園 大杉第二公園 B-11児童遊園 浄閑寺 [脚注の使い方] ^ a b “人口・世帯数 - 人口と世帯数(令和3年)”. 越谷市. 2022年3月23日閲覧。 ^ a b “郵便番号”.
- 藤原詮子
- 21日の母・時姫の法要以外には12月22日の詮子の法要のみであり、また盂蘭盆会の前日に送る盆供の送り先として、法興院(兼家の菩提寺)・ 浄閑寺 (時姫の菩提寺)・慈徳 寺 (詮子の菩提寺)が指示されていることから、道長が詮子の供養を両親と同じように行っていた事が知られる。 父:藤原兼家 母:藤原時姫 - 藤原中正の娘
- 三ノ輪橋停留場
- 東京メトロ日比谷線三ノ輪駅 - 徒歩3分程度。都電では乗換駅として案内されているが、東京地下鉄は正式な乗換案内としていない。 浄閑寺 南千住砂場 三河島 千束(吉原) 山谷 ヨークフーズ三ノ輪店 オリンピック三ノ輪店 三ノ輪橋 都営バス <草43> 千住車庫前・足立区役所 <草43>
- 簀巻き
- 足抜け」「廓内での密通」「阿片喫引」など吉原の掟を破った者の処刑方法としても用いられた。この場合は殺された後に素裸にされ荒菰(あらごも)に包まれ、 浄閑寺 に投げ込まれた。人間として葬ると後に祟るので、犬や猫なみに扱って畜生道に落とすという考えによったとものとされている。
- 投げ込み寺
- 投げ込み 寺 (なげこみでら)は、 寺 に身よりのない遊女や行き倒れなどの遺体が放り込まれたことからそれらの 寺 についた俗称である。 寺 では遺体を無縁仏として葬ったという。 東京(江戸)、新吉原遊廓近く、三ノ輪(荒川区南千住2丁目)の 浄閑寺 が投げ込み 寺 であったことが知られているが、その他にも次のように各地の宿場に同様の寺院があった。
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