宝台院
基本情報
- 所在地
- 〒420-0034
静岡県静岡市葵区常磐町2丁目13-2
- TEL / FAX
-
054-252-1090
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- JR東海道本線 静岡 570m
- 東海道新幹線 静岡 630m
- 静岡鉄道静岡清水線 新静岡 770m
- 静岡鉄道静岡清水線 日吉町 1070m
- 周辺情報
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- 宝台院
- 宝台院 (ほうだいいん)は、静岡県静岡市葵区常磐町二丁目(旧下魚町)にある浄土宗の寺院。山号は金米山。寺号は龍泉寺。本尊は阿弥陀如来。駿府における徳川家の菩提寺。 江戸時代には江戸幕府から朱印状(朱印三百石)も与えられていたほか住職の江戸城登城時には十万石の格式をあたえられた。
- 西郷局
- )は、戦国時代・安土桃山時代の女性。初名はあい、お愛とされるが、お相が正しいとする説もある(後述)。徳川家康の側室となって以降は西郷局と称した。 院 号は 宝台院 。贈位を受けた際の名は源昌子。 江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠、松平忠吉を産んだ。 江戸後期に成立した『寛政重修諸家譜』・『以貴小伝』によれば、父
- 鷹司政煕
- 院 が崩御するまで政煕は関白に留まることになった。 子女 鷹司政通 依子(東本願寺法主達如室) 宝台院 隆子(加賀藩主前田斉広室) 真龍 院 吉子(閑 院 宮孝仁親王妃) 微妙覚 院 繋子(仁孝天皇女御・贈皇后) 新皇嘉門 院 今出川賀丸 景子(伏見宮邦家親王妃) 祺子(仁孝天皇女御・皇太后) 新朔平門 院 定子(尾張藩主徳川斉温室)
- 永田正道
- (1780年)評定所留役に昇進。天明7年(1787年)に勘定組頭となり、翌年久能山東照宮、 宝台院 の修復を行う。同年清水徳川家用人に昇進し、のちに布衣を着ることを許され、番頭に転じた。寛政7年(1795年)貞章 院 用人なり、同9年(1797年)江戸城西ノ丸広敷用人となる。文化7年12月14日に勘定奉行と
- 従一位
- "中曽根氏に従一位、大勲位菊花章頸飾を授与". 産経ニュース. 産業経済新聞社. 27 December 2019. p. 1. 2019年12月27日閲覧。 ^ “ 宝台院 の由来”. 宝台院 . 2023年7月1日閲覧。 ^ 芳賀ほか 1993, p. 431. ^ “『板垣精神 : 明治維新百五十年・板垣退助先生薨去百回忌記念』”
- 徳川慶喜
- 12月9日、征夷大将軍職辞職。 慶応4年(1868年) 2月12日 - 寛永寺大慈 院 にて謹慎。 4月11日、解官。 4月15日 - 水戸藩(現在の茨城)の弘道館至善堂に謹慎。 7月19日 - 弘道館を出発。 7月23日 - 駿河(現在の静岡)の 宝台院 に謹慎。 明治2年(1869年) 9月28日 - 謹慎解除。 10月5日
- 性高院
- 性高院(しょうこういん)は、愛知県名古屋市千種区幸川町にある浄土宗の寺院。山号は「大雄山」。 1589年(天正17年)に松平忠吉が母 宝台院 の菩提を弔うために満誉玄道を開山として創建された。1603年(慶長8年)に清須へ、1610年(慶長15年)の清洲越しで中区門前町(現在の名古屋中郵便局付近)へ移
- 静岡大火
- 神社:別雷神社(七間町三丁目)、小梳神社(紺屋町)、津島神社(梅屋町)など計5社 寺院: 宝台院 (下魚町)、教覚寺(常慶町)、華陽 院 (誉田町)、法伝寺(伝馬町)など計23寺 寺町一~四丁目、西寺町にあった寺院群11寺が焼失した。 旅館:浮月楼、大東館(紺屋町)など計54軒
- 一条美賀子
- 慶応4年(1868年)1月にようやく慶喜は江戸に戻ってくるが、それは将軍職を返上した後のことであり、慶喜はそのまま上野寛永寺、引き続き駿府 宝台院 にて謹慎生活に入り、省子は対面することが出来なかった。明治維新後も慶喜は静岡、省子は東京の一橋屋敷という別居生活は続いた。この頃、「省子」から「美賀子」に改名している。
- 高台寺
- 。寺号は詳しくは高台寿聖禅寺と称する。豊臣秀吉の正室である北政所が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所の落飾(仏門に入る)後の 院 号である高 台院 にちなむ。禅宗寺院であるとともに、秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格を持った寺院である。元々は黄金八丈の阿弥陀如来像(大仏)を安置する雲居寺の境内であった。
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