芳春院
基本情報
- 所在地
- 〒603-8231
京都府京都市北区紫野大徳寺町55
- TEL / FAX
-
075-492-6010
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
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- 芳春院
- 芳春院 (ほうしゅんいん、天文16年7月9日(1547年7月25日) - 元和3年7月16日(1617年8月17日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。加賀国(石川県)の戦国大名・前田利家の正室。名はまつ。篠原一計の娘。戒名は 芳春院 殿花巖宗富大禅定尼。母(竹野氏)が利家の母の姉であるため、利
- 加賀藩
- 加賀藩(かがはん)は、江戸時代に加賀、能登、越中(現在の石川県・富山県)の3国の大半を領地とした藩。藩祖・前田利家の妻である 芳春院 (まつ)の死後、 芳春院 の化粧料(婦女に対して生活補助として与えられた領地(石高))だった近江弘川村(現在の滋賀県高島市今津町)を飛び地として加える。
- 芳春院 (京都市)
- 芳春院 (ほうしゅんいん)は、京都府京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の寺院。同派大本山大徳寺の塔頭である。大徳寺の塔頭の中では最も北に位置する。通常は公開されていない。 慶長13年(1608年)に玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)を開祖として加賀藩前田家の祖・前田利家の夫人・松子(まつ、 芳春院
- 足利義氏 (古河公方)
- - 1583年)。同名の足利義氏から数えて14代目の子孫に当たる。父は第4代古河公方の足利晴氏、母は北条氏綱の娘の 芳春院 殿。正室は北条氏康の娘の浄光 院 。異母兄弟に足利藤氏や足利藤政がいる。 ※日付は和暦による旧暦。西暦表記の部分はユリウス暦とする。
- 桂本万葉集
- 桂本万葉集の裏面の継目には伏見天皇の花押が押されており、その所蔵にあったようだ。元亀以降元和以前に前田家に伝来。中箱に「此一箱 芳春院 加賀大納言利家室年来所持紀貫之有自筆奥書而関白秀次公所望入見参之処截端奥書被押手鑑云々」とあって、前田利家室 芳春院 が所持していた折、豊臣秀次が冒頭と奥書を切り取る。現存零巻は巻頭と巻末が切られているが、こ
- 前田利長
- 慶長19年(1614年)5月20日 - 正二位・権大納言追贈。 父:前田利家(1539年 - 1599年) 母: 芳春院 (1547年 - 1617年) - 篠原一計の娘 正室:永姫(織田信長の四女、玉泉 院 ) 側室:越中国射水郡二塚村(現・富山県高岡市二塚)の十村・大坪助左衛門の娘。 長女:満姫(まんひめ、慶長10年(1605年)
- 前田利政
- 揮下に入りたくなかっただけで、関東方(徳川氏)への忠節を尽くす行動ではない」と辞退している。ただし、利政の大名取り立てが実現しなかった背景には母の 芳春院 の働きかけにも関らず、家康が言を左右にしたという事情や関ヶ原の戦いの時の利政の行動を許せなかった兄・利長が拒否し続けた事情があったとする指摘もある。
- 1617年
- 1570年) 8月17日(元和3年7月16日) - まつ( 芳春院 )、前田利家の正室(* 1547年) 9月25日(元和3年8月26日) - 後陽成天皇、107代天皇(* 1571年) 12月31日(元和3年12月4日) - 千代(見性 院 )、山内一豊の正室(* 1557年)
- 前田直之
- 院 。幼名は又若。初名は利直、後に政之。通称は肥後、三左衛門。子は前田直作など。 慶長9年(1604年)、前田利政の長男として京都で誕生。 父・利政は関ヶ原の戦い後に改易されていたため、祖母・ 芳春院 (おまつの方)に引き取られ金沢で養育された。12歳の時、 芳春院
- 豪姫
- の正室。前田利家の四女。豊臣秀吉の養女。羽柴氏。南の御方、備前の方、京。樹正 院 。洗礼名「マリア」。 天正2年(1574年)、織田氏家臣・前田利家の四女として尾張国荒子(現・愛知県名古屋市中川区)に生まれる。生母はまつ( 芳春院 )。 数え2歳の時(『川角太閤記』)、父の利家が羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)との
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