南禅寺僧堂
基本情報
- 所在地
- 〒606-8435
京都府京都市左京区南禅寺福地町86
- TEL / FAX
-
075-771-3855
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- 京都市東西線 蹴上 580m
- 京都市東西線 東山 1300m
- 京阪京津線 御陵 1880m
- 京都市東西線 御陵 1880m
- 周辺情報
- 大本山南禅寺 仏閣(寺、観音、不動、薬師)
- 私立東山中学校 中学
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- 南禅寺
- 南禅寺 (なんぜんじ)は、京都市左京区 南禅寺 福地町にある臨済宗 南禅寺 派の大本山の寺院。山号は瑞龍山。本尊は釈迦如来。開山は無関普門(大明国師)。開基は亀山法皇。正式には太平興国 南禅 禅寺 (たいへいこうこくなんぜんぜんじ)と号する。日本最初の勅願 禅寺 であり、京都五山および鎌倉五山の上に置かれる別格扱いの寺
- 寺院
- 山門(さんもん) 本堂・仏殿(ほんどう・ぶつでん)- 本尊を祀る。 法堂・講堂(はっとう・こうどう)- 信者や雲水に説法・法話を行う施設 僧堂 ・禅堂 - 雲水が起居し、坐禅修行を行う。 庫裏・庫裡・庫院(くり・くいん)- 寺の厨房である。事務所や住職の住居を兼ねる場合もある。 東司(とうす)-
- 永保寺
- 永保寺(えいほうじ)は、岐阜県多治見市虎渓山町にある臨済宗 南禅寺 派の寺院。山号は虎渓山(こけいざん)。 雲水の修行道場( 僧堂 )である虎渓山専門道場を併設している。 1295年頃、鎌倉の地で夢窓疎石と元翁本元(佛徳禅師)が修行し、また土岐頼貞との接点が生まれた。
- 三柱鳥居
- 社の崇教会である「大神教本庁」内にある大神教本院の摂社である、三輪稲荷大明神社の拝殿前に黄土色丸柱の三柱鳥居がある。 南禅寺 大寧軒 ※非公開-(京都市左京区 南禅寺 福地町)臨済宗 南禅寺 派大本山である大寧軒の庭に三柱鳥居がある。この三柱鳥居は木嶋神社のものを模したものであるという。 不二阿祖山太神宮-(山梨県富士吉田市大明見)
- 柴山全慶
- 遅い1916年であり、年齢順に言っても全慶は最も若い弟子であった。 全慶は、 南禅 僧堂 で1916年(大正5年)から1923年(大正12年) (22歳~29歳)まで、厳しい修行に明け暮れた。 河野霧海の特命で、荒廃していた 南禅寺 塔頭慈氏院を復興するため、1923年(大正12年)に慈氏院の住職となった。慈
- 堀正平
- 川支部教師となる。1914年(大正2年)5月、佐々木翁と結婚。1914年(大正3年)、武者修行の旅に出る。 1915年(大正4年)、教職を辞し、 南禅寺僧堂 に入り参禅する。1921年(大正10年)、武者修行の旅に出て、有信館、明信館、水戸東武館、北辰堂などを巡る。同年、妻・佐々木翁、死去。
- 禅師
- 僧に贈られる諡号としては、他にも大師、国師などがある。 記主禅師 - 良忠(1199 - 1287)浄土宗の第三祖。 永平寺、總持寺の貫首は、代々慣習として禅師号が朝廷から下賜されている。 妙応光国慧海慈済禅師 - 東陵永璵(1285-1365) 南禅寺 23世、円覚寺26世、建長寺32世。雲巌 禅寺 開山。東陵派の祖。 表示 編集
- 火灯窓
- られるもののように飾り金具を付けたものもある。その一方、建物を飾る窓としての気品を損ねた印象となり美的評価は低くなっている。 慈照寺銀閣の火灯窓 南禅寺 (京都)の火灯窓 彦根城の突上窓と火灯窓 姫路城乾小天守内側からみた火灯窓 岸和田城天守最上階の火灯窓 [脚注の使い方] ^ a b 近藤豊著『古建築の細部意匠』大河出版
- 東福寺
- p.96 ^ 横山秀哉「東福寺古 僧堂 の遺構から見た禅宗伽藍」(『禅文化(42)』1966年 収録) ^ a b c d e f g h 根立研介「東福寺の彫刻 -南北朝・室町時代の遺品を中心に-」(『MUSEUM』591号、2004年) ^ 横山秀哉「東福寺古 僧堂 の遺構から見た禅宗伽藍」(『禅文化』42号、1966年
- 古川尭道
- 僧堂 の遠山禪外らの下で修行を継続し、1892年、円覚 寺僧堂 師家釈宗演門下に入り嗣法。さらに1899年、 南禅寺 の豊田毒湛に就いた。のちに普応寺住職。1903年からは初の男性住職として東慶寺住職を務め、関興寺、淨智寺を経て、1916年、円覚 寺僧堂
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