徳大寺
基本情報
- 所在地
- 〒110-0005
東京都台東区上野4丁目6-2
- TEL / FAX
-
03-3831-4541
- e-MAIL
- URL
- http://www5b.biglobe.ne.jp/~marisitn/
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- 都営大江戸線 上野御徒町 150m
- JR京浜東北線 御徒町 160m
- JR山手線 御徒町 160m
- 東京メトロ銀座線 上野広小路 170m
- 周辺情報
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- 徳大寺
- 徳大寺 (とくだいじ)は、東京都台東区上野4丁目アメヤ横丁のほど近くにある日蓮宗の寺院。山号は妙宣山。本尊は大曼荼羅。開運摩利支天を祀ることから下谷摩利支天(したやまりしてん)とも呼ばれる。旧本山は大本山中山法華経寺。親師法縁。 創建年代は不明だが、伝承では江戸時代前期の承応2年(1653年)に示寂
- 徳大寺家
- 徳大寺 家(とくだいじけ、旧字体:德 大寺 家)は、藤原北家閑院流の公家・華族だった家。公家としての家格は清華家、華族としての家格ははじめ侯爵家、後に公爵家。 通字は「公」と「実」を交互に用いる。 閑院流の流祖である太政大臣藤原公季の五世孫権大納言藤原公実の五男左大臣 徳大寺
- 徳大寺実定
- 徳大寺 実定(とくだいじ さねさだ)は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人。右大臣・ 徳大寺 公能の長男。官位は正二位・左大臣。百人一首では後 徳大寺 左大臣として知られる。 永治元年(1141年)に3歳で叙爵(『公卿補任』)、康治3年1月28日(1144年3月4日)に叔母の夫にあたる藤原頼
- 徳大寺実則
- 德 大寺 實則(とくだいじ さねつね、天保10年12月6日〈1840年1月10日〉 - 1919年〈大正8年〉6月4日)は、日本の公卿、政治家。宮内卿、内大臣、明治天皇の侍従長等を務めた。位階・勲等・爵位は従一位大勲位公爵。東山天皇の男系七世子孫である。新字体で 徳大寺 実則と表記されることもある。
- 徳大寺実淳
- 徳大寺 実淳(とくだいじ さねあつ)は、室町時代の公卿。 徳大寺 公有の子。号は禅光院。法名は忍継。 文安2年(1445年)に 徳大寺 公有の子として生まれる。 寛正3年(1462年)8月5日、叙従三位。 文明13年(1481年)に内大臣(1481年 - 1485年)となる。 文明17年(1485年)5月4日、叙従一位。
- 徳大寺公俊
- 徳大寺 公俊(とくだいじ きんとし)は、室町時代の公卿。父は 徳大寺 実時。号は後野宮。法名は常俊。 応安4年(1371年)に 徳大寺 実時の子として生まれる。 至徳3年(1386年)11月27日に参議となる。 応永25年(1418年)に右大臣(1418年 - 1419年)となる。 応永26年(1419年)1月6日、叙従一位。
- 徳大寺忻子
- 徳大寺 忻子(とくだいじ きんし、弘安6年(1283年) - 観応3年/正平7年2月1日(1352年2月16日))は、後二条天皇の中宮。太政大臣 徳大寺 公孝の長女で、母は藤原喜子(内大臣三条公親女)。異母弟に 徳大寺 実孝がいる。女院号は長楽門院(ちょうらくもんいん)。
- 徳大寺実時
- 徳大寺 実時(とくだいじ さねとき)は、室町時代の公卿。父は 徳大寺 公清。号は野宮。法名は常実。 暦応元年(1388年)に 徳大寺 公清の子として生まれる。 文和3年(1354年)10月22日、叙従三位。 延文元年(1356年)1月16日の踏歌節会に出仕したところ、参議が誰も出仕しなかったためにその場で
- 徳大寺公孝
- 徳大寺 公孝(とくだいじ きんたか)は、鎌倉時代の公卿。 徳大寺 太政大臣と号する。従一位太政大臣。母は鷹司頼平(大炊御門頼実の子)の娘もしくは養女(鷹司頼基の娘)。 以下、『公卿補任』の記事に従って記述する。 正嘉元年(1257年)8月11日、従五位上に叙され、同年11月10日には侍従に任ぜられる。
- 徳大寺実基
- 徳大寺 実基(とくだいじ さねもと)は、 鎌倉時代中期の公卿。従一位太政大臣。 徳大寺 相国、又は水本太政大臣と号す。左大臣 徳大寺 公継の次男。母は白拍子の五条夜叉。 以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 建保元年(1213年)1月13日、叙爵。12月14日には侍従に任ぜられる。
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