頂妙寺
基本情報
- 所在地
- 〒606-8376
京都府京都市左京区孫橋通新麩屋町西入大菊町96
- TEL / FAX
-
075-771-0562
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- 京都市東西線 三条京阪 290m
- 京阪本線 三条 320m
- 京都市東西線 京都市役所前 360m
- 周辺情報
- フレスコ川端店 その他のスーパーマーケット
- 新麩屋町通 道路名
- ホテルサンセットイン ビジネスホテル
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- 頂妙寺
- 頂妙寺 を開山した。当時の寺地は南は四条通、北は錦小路通、西は万里小路(現在の柳馬場通)、東は富小路通に至る地で、現在の京都市下京区と中京区にまたがる。その後、 頂妙寺 は移転を繰り返した。1509年(永正6年)、新町長者町に移転(現・上京区元 頂妙寺
- 森田茂 (政治家)
- かし、就任から約1年後の1932年(昭和7年)11月30日に病死した。享年61(満60歳没)。12月6日に岡崎公会堂において市葬が営まれた。日蓮宗 頂妙寺 に葬られる。別に分骨して郷里佐岡村に葬られていたが、国道195号あけぼの街道延伸工事のため、2019年に墓じまいした。 [脚注の使い方] ^ “衆議院歴代議長・副議長一覧”
- 仁王門通
- 琶湖疏水を隔てた北には岡崎の文化施設の並ぶ一角がある。東大路通から川端通までは西行一方通行の狭い道で住商混在の通りである。 仁王門通の名称は沿道の 頂妙寺 の仁王門に由来するという。 宝永5年(1708年)3月に起こった火災(宝永の大火)のあと、御所の拡張に伴う寺院および丸太町通北側の町の移転により、
- 高倉通
- られたが、その際開かれた通りが現在も新高倉通として現存している。 1523年(大永3年)から1673年(寛文13年)にかけての一時期、 頂妙寺 が沿道にあったため、 頂妙寺 通とも呼ばれていた。 現在は京都の中心部を走る生活道路である。通りは仏光寺通‐高辻通間のごく短い区間と七条通から八条通の区間を除いて一
- 細川勝益
- 出身の僧、日祝に対し、南は四条通、北は錦小路通、西は万里小路(現在の柳馬場通)、東は富小路通に至る広い寺地(40町ほど)を寄進。2年後にはこの地に 頂妙寺 が開山し、明応4年(1495年)、勝益の更なる土地寄進(現在の京都市中京区辺り)により寺域が拡大。 戦乱が治まってからは土佐に戻り、文亀元年(15
- 俵屋宗達
- 年)春に石川県金沢市の宝円寺で発見された宗達のものとされる墓によって、寛永20年8月12日(1643年9月24日)没という説が唱えられたが、京都の 頂妙寺 にある墓が宗達のものであるという説もあり、本人の墓であるのかについては異論もある。そのため、最近の文献では記載されないことが多い。
- 日蓮宗
- 本山法鏡山妙伝寺(ほうきょうざんみょうでんじ、通称二条妙傳寺、京都府京都市左京区) 本山聞法山 頂妙寺 (もんぽうざんちょうみょうじ、通称川端 頂妙寺 、京都府京都市左京区) 本山叡昌山本法寺(えいしょうざんほんぽうじ、通称小川本法寺、京都府京都市上京区)
- 中山門流
- 康の江戸移封後には法華経寺寺宝の大量流出が明らかとなった。これに激怒した家康は、安土宗論でも知られる日珖を法華経寺貫首として送り込み、以後本法寺・ 頂妙寺 ・妙国寺の上方3ヶ寺の持ち回りで法華経寺貫首を選ぶこととして、これまで門流の中枢を占めていた関東系諸寺の影響力を削減した。とはいえ、これによって江
- 洛中法華21ヶ寺
- 朝廷によって法華宗帰洛が許されたのち、一寺として再興したのは15カ寺であった。 本満寺 - 上京区寺町今出川上 妙顕寺 - 上京区寺の内通新町西入妙顕寺前町 頂妙寺 - 左京区仁王門通新麩屋町西入大菊町 妙傳寺 - 左京区東大路二条下北門前町 立本寺 - 上京区七本松通仁和寺街道上 本圀寺 - 山科区御陵大岩町
- 安土宗論
- 説法の期間は7日の予定だったが、11日に延長して法華宗の方へ使者を出させた。法華宗の方も、では宗論をやろうと京都の 頂妙寺 の日珖、常光院の日諦、久遠院の日淵、妙顕寺の大蔵坊、堺の油屋の当主の弟で、妙国寺の僧普伝という歴々の僧たちが来る事になった。
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