神泉苑
基本情報
- 所在地
- 〒604-8306
京都府京都市中京区御池通神泉苑東入門前町167
- TEL / FAX
-
075-821-1466
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
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- 神泉苑
- 神泉苑 (しんせんえん)は、京都市中京区門前町にある東寺真言宗の寺院。本尊は聖観音。そもそもは平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)。古代から中世にかけては東寺が管掌する雨乞いの道場となり、江戸時代に寺院となった。 当地は延暦13年(794年)の平安京遷都とほぼ同時期に、当時の大内裏
- 徳岡神泉
- は至らなかった。その後、京都を離れ富士山麓の岩淵に逃避。この頃、俊成の号を用いる。 1920年(大正9年)に結婚。この頃、号を 神泉 と改める。号の由来は名園として知られる 神泉苑 から。その後現在の静岡県富士市に移り住むも、初めからやり直すことを決心し、京都に戻る。そして、再び竹杖会に入塾する。
- 812年
- が反乱を起こすも、失敗。 3月28日(弘仁3年2月12日) - 桜の花見の宴が日本で初めて公式行事として催される。 神泉苑 にて嵯峨天皇が日本の記録上初めての花宴之節を開く。『日本後紀』に「幸 神泉苑 覧花樹 命文人賦詩 賜綿有差 花宴之節始於此矣」とあり、これ以降、貴族の間にも桜の花見が急速に普及してゆくこ
- 御池通
- 御池通の名の成立時期は不明であるが、江戸初期には御池通と呼ばれるようになる。なお、江戸初期の京都の地図には、御池通を「小池通」と記すものがある。 御池通の名称は、この通りが 神泉苑 の池の傍を通ることに由来するという説が現在の通説となっているが、平凡社『京都市の地名』 (1979)では、江戸時代初期の1665年(寛文5年)発行
- 島津忠秀 (越前家)
- 信濃国赤沼郷に地頭職を有し、諏訪大社の御射山祭の頭役も務めた。元弘3年(1333年)5月7日、足利高氏が六波羅探題を攻撃した際には、六波羅探題方の将として太政官庁・ 神泉苑 周辺を守る(『太平記』巻第九)。六波羅探題滅亡後は室町幕府に帰順したと考えられ、康永4年(1345年)、天龍寺供養の際に導師夢窓疎石の天蓋の執綱を
- 横田商会
- のちに「横田商会」と改称する。同月、新京極の芝居小屋「夷谷座」でフランスから輸入したドキュメンタリーフィルムを公開する。1905年(明治38年)、 神泉苑 に現像場を開設、自社での現像を開始する。1907年(明治40年)3月、大阪「角座」と東京・神田区の「錦輝館」と特約を結び、ここでの映画興行を始め、
- 竜
- 生け贄を捧げたりした。その象徴が、神道では櫛名田比売(くしなだひめ)などとして語られ、仏教では、高僧が祈りを捧げるといった雨乞いの行事が行われた。 神泉苑 (二条城南)で空海が祈りを捧げて善女竜王(清瀧権現)を呼び、雨を降らせたという逸話が有名である。 また、剣は、炎の竜の化身とされており、八岐大蛇か
- 神泉苑通
- 神泉苑 通(しんせんえんどおり)は京都市の南北の通りの一つ。北は押小路通から南は蛸薬師通まで。平安京の櫛笥小路に相当する。 神泉苑 (御池東入) 西友三条店(三条北西) 六角獄舎跡(六角西入) 京都市立洛中中学校(蛸薬師) ^ 京都市内の通りの名称は「通」となっていて「り」を送らない。例外として道路標識
- 大内裏
- めさせた。その一方で、天皇の即位式の会場となる太政官庁、各種神道儀式が行われてきた神祇官、各種仏教儀式が行われてきた真言院の3つの施設は南東にある 神泉苑 と共に荒廃しながらも内野の中に存続していたが、応仁の乱でこれらの施設は焼失し、再建することが出来なかった。このため、後柏原天皇の即位式は内裏を大内裏の空間に見立てて実施された。
- 高瀬舟
- ○十六日癸酉。令下二近江丹波兩國一。各造二高瀨舟三艘一。其二艘長三丈一尺。廣五尺。二艘長二丈一尺。廣五尺。二艘長三丈一尺。廣三尺。送中 神泉苑 上。 ──『日本三代實錄』卷第四十六 起二元慶八年六月一盡二元慶八年十二月一 《書き下し文》 ※字は新字体、文は文語体。振り仮名は歴史的仮名遣。
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