霊雲院
基本情報
- 所在地
- 〒616-8035
京都府京都市右京区花園妙心寺町39
- TEL / FAX
-
075-462-4648
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
- 最寄り駅
- 京福北野線 妙心寺 360m
- JR山陰本線 花園 530m
- 京福北野線 龍安寺 540m
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- 霊雲院
- 霊雲院 へ移られる時に500石の禄を送ろうとしたが、「出家の後、禄の貴きは参禅の邪気なり。庭上の貴石を賜れば寺宝とすべし」と申された。そこで細川家では、遺愛石と銘じた石を須弥台と石船とともに寄贈した。 こちらも三玲の手によるもので、寺号 霊雲
- 妙心寺
- 世大川紹潙を開祖として創建。龍泉派に属する。 通玄 院 - 開基寺西信之、開山は妙心寺219世虚櫺了廓。かつては即心 院 と称していた。創建年代は諸説ある。1878年(明治11年)、水月 院 を合併している。龍泉派に属する。 霊雲院 - 妙心寺四派のうち 霊雲 派の本庵。妙心寺25世大休宗休が師の特芳禅傑を勧請
- 狩野元信
- 霊雲院 障壁画 (京都・ 霊雲院 ) 49幅 紙本墨画淡彩 天文12年(1543年) 霊雲院 は妙心寺の塔頭、京都国立博物館寄託 四季花鳥図屏風 (白鶴美術館) 六曲一双 紙本金地著色 天文18-19年(1549年-50年) 瀟湘八景図 (京都・東海庵) 4幅 紙本墨画 霊雲院 旧蔵 京都国立博物館寄託
- 前田利意
- )に将軍・徳川綱吉より朱章を賜る。貞享2年(1685年)4月27日(もしくは4月28日)に61歳で七日市にて死去した。跡を子の利広が継いだ。法号は 霊雲院 殿桃岳宗吾大居士。墓所は群馬県富岡市の長学寺。 『土芥寇讎記』の利広の項目に拠れば、利広は女性に溺れることもなく、「善ありて悪なし」の「誉の将」と
- 神峯山寺
- 建立しこの毘沙門天を祀ったことが当寺の起源とされている。 さらに縁起によれば、刻まれた残り3体の毘沙門天は天高く飛散し、1体はかつて神峯山寺奥之 院 「 霊雲院 」であった北山本山寺に、1体は京都市左京区の鞍馬寺に、1体は奈良県生駒郡平群町の朝護孫子寺に安置されたと伝わっている。これら寺院の本尊は現在も毘
- 本山寺 (高槻市)
- - 781年)に光仁天皇の子・開成皇子が諸堂宇を建立して本格的な仏教寺院として創建したと伝えられている。 また、当寺は 院 号を 霊雲院 といい、南方に位置する神峯山寺の奥の院ともいうが、本山寺の縁起によれば神峯山寺とは別寺とされている。本山寺の寺号は戦国時代の記録には見えており、
- 山田無文
- 霊雲院 住職。 1953(昭和28)年、神戸・祥福寺住職並びに専門道場師家。 1964(昭和39)年、禅文化研究所所長。 1978(昭和53)年、臨済宗妙心寺派管長(1982年3月迄)、花園大学名誉学長。 1982(昭和57)年、管長並びに学長退任後は、 霊雲院 に住す。 1988(昭和63)年、遷化。
- 瑞龍寺 (岐阜市)
- 山号は金寶山。 臨済宗妙心寺派の坐禅修行の出来る専門道場であり、雲水(禅の修行僧)の修行の場である。 総門を入ると参道の右に瑞 雲院 、鶴棲 院 、臥 雲院 。左に、天澤 院 、開善 院 、雲龍 院 の6つの寺(塔頭)がある。一番奥には雲水の修行道場である僧堂がある。 境内には、斎藤妙椿(斎藤利藤とは別人が有力)、土岐成頼、悟渓国師の墓がある。
- 真言宗
- 1989年、高見寛恭(萬福寺住職) 1990年、加藤宥雄(種智 院 大学教授)・山崎泰廣(種智 院 大学教授) 1991年、周藤真雄(林昌寺住職)・三神榮昇(智山講傳所) 1992年、壁瀬灌雄(種智 院 大学助教授)・日野西眞定(高野山大学教授)・上田 霊 城(延命寺住職) 1993年、川原榮峰(早稲田大学教授)
- 大雲院 (京都市)
- 秋葉山東景寺(秋葉三尺坊大権現) 京都市円山音楽堂 霊 鷲山(金玉山)法華三昧無量寿 院 雙林寺(沙羅雙樹林寺) 大谷祖廟(円山町477) 黄台山長楽寺 岡林 院 、月真 院 、圓徳 院 (高台寺塔頭) 圓山公園 八坂神社(感神 院 祇園社) 火除天満宮(京都市下京区にある神社で元は大 雲院 の鎮守社であった) 石川五右衛門 [脚注の使い方]
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