桂春院
基本情報
- 所在地
- 〒616-8036
京都府京都市右京区花園寺ノ中町11
- TEL / FAX
-
075-463-6578
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
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- 桂春院
- 秀則死後、美濃の豪族・石河貞政(いしこさだまさ)が寛永9年(1632年)に父の50年忌の追善供養のために 桂 南守仙(けいなんしゅせん)を請じて建物を整備し、父の法名「天仙守 桂 大禅定門」・母の法名「裳陰妙 春 大姉」から1文字ずつをとり 桂春院 と改めた。 京都府指定有形文化財。 寛永8年(1631年)に建立された単層入母屋造・
- 右京区
- 祇王寺 桂春院 源光寺 高山寺 広隆寺 西寿寺 西方寺 西明寺 三宝寺 直指庵 春光 院 常寂光寺 常照皇寺 神護寺 清凉寺 大覚寺 大聖 院 退蔵 院 滝口寺 檀林寺 長福寺 月輪寺 転法輪寺 天龍寺 東光寺 東林 院 二尊院(華台寺) 仁和寺 福徳寺 遍照寺 法雲 院 宝筐 院 宝厳 院 法金剛 院 宝樹寺 宝泉寺
- 妙心寺
- 桂春院 に改めた。杉苔とツツジの植え込みが見どころの庭園は史跡・名勝に指定。東海派に属する。 蟠桃 院 - 開基は前田玄以。開祖は一東黙宙。慶長6年(1601年)創建。伊達政宗が大檀越に加わり伊達家菩提寺となる。東海派に属する。 長慶 院 - 豊臣秀吉の正室である北政所の姉妹長慶 院
- 桂春蝶 (3代目)
- 桂春 団治夫妻、乾杯は 桂 ざこば、来賓代表は 桂 福団治、司会は浜村淳であった。 2006年9月、「3代目 桂春 蝶」を襲名することが決定する。2007年、B1角座の新たな劇場として開設の杮落としとして 春 蝶襲名披露興行を予定されていたが頓挫する。2009年8月30日、「3代目 桂春 蝶」襲名。同日より11月まで
- 瑞春院
- 瑞 春院 (ずいしゅんいん、万治元年2月1日(1658年3月4日) - 元文3年6月9日(1738年7月25日))は、江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の側室。通称は伝(でん、旧字体:傳)、また三ノ丸様・御袋様ともよばれた。今日ではお伝の方として知られる。 瑞 春院 の父は下級武士(黒鍬(10俵一人扶持)とも、中
- 狩野山雪
- 画史』は日本絵画史の基本史料として知られるが、山雪の草稿を永納が完成させたものである。 天球 院 襖絵 (京都・妙心寺天球 院 ) 1631年 重要文化財 桂春院 襖絵「松に三日月図」(旧仏間壁貼付) (京都・ 桂春院 ) 1632年 歴聖大儒像 (東京国立博物館15幅・筑波大学6幅) 紙本著色 1632年 林羅山の依頼で描いた
- 石川貞政
- 020石を知行とする旨の朱印状を与えられた。 寛永8年(1631年)、妙心寺塔頭の 桂春院 の本堂を再建。 承応3年(1654年)に隠居し、 桂春 と号する。明暦3年(1657年)に死去した。享年83。 また、寛永年間に『寛永諸家系図伝』が編纂されるに及び、姓を石川か
- 臨済宗
- 本山は京都の大徳寺。室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休宗純が復興した。 1337年、関山慧玄により始まる。 本山は京都・花園の妙心寺。塔頭寺院には、 桂春院 ・春光 院 ・退蔵 院 ・隣華 院 などがある。 末寺3,400余か寺を持つ臨済宗最大の宗派。白隠慧鶴もこの法系に属する。 1345年、夢窓疎石により始まる。 本山は京都・嵐山の天龍寺。
- 桂文枝 (5代目)
- 6代目 桂 文枝 4代目 桂 小文枝 桂文珍 桂 文太 桂 小軽 桂 文福 桂 文喬 桂 文也 桂 小枝 桂 枝女太 2代目 桂 枝光 3代目 桂 あやめ 桂 坊枝 4代目 桂 文昇 2代目 桂 枝曾丸 桂 文華 桂 こけ枝 5代目 桂 文三 桂 かい枝 桂 阿か枝 ※孫弟子などの詳細は文枝一門を参照。 ^ 前列左より 桂春
- 織田秀則
- と少し話した場合、その品格によりドイツの貴族と判断してしまう」と評している。慶長3年(1598年)京都妙心寺の塔頭として見性 院 を創建する。見性 院 はのち美濃の石河氏により 桂春院 として整えられ、現在も存続している。 慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに際しては、兄と共に西軍に属し、美濃岐阜城に篭城す
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