全動労北海道
基本情報
- 所在地
- 〒060-0909
北海道札幌市東区北9条東1丁目2-22
- TEL / FAX
-
011-711-7355
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- 業種
- 労働組合・団体
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- 札幌市東豊線 北13条東 500m
- JR函館本線 札幌 590m
- 札幌市南北線 北12条 650m
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- 国鉄動力車労働組合
- 革マル派と関係が深かった政研派が 動労 の主導権を握ると、政治セクト・政党支持をめぐって内部対立が起こり、1974年(昭和49年)には日本共産党系の全国鉄動力車労働組合連合会( 全動労 )が札幌地本を中心として結成された。全国鉄動力車労働組合連合会( 全動労 )結成において、 北海道
- 全国鉄動力車労働組合
- 北海道 札幌市において「全国鉄動力車労働組合連合会」( 全動労 )を結成した。後に「全国鉄動力車労働組合」に改称。全国38地区、約3500人。委員長に遠藤泰三、副委員長に福岡孝洋、横本一男、書記長に新幹生。 国労(社会党支持・共産党支持)、 動労 (社会党支持)、鉄労(民社党支持)、 全
- 国鉄分割民営化
- 1986年1月13日、杉浦総裁室に各労組の代表が呼ばれ、国労、 全動労 は拒否し、 動労 、鉄労、 全 施労は同意した。国鉄側は「労使共同宣言」拒否を理由に国労、 全動労 との雇用安定協約の破棄を通告し、失効した。 当時の国労は、1985年4月1日現在で、187
- 全日本鉄道労働組合総連合会
- JRには、本州・四国では国労・ 全動労 などの組合員もほとんど採用されたが、定員超過の 北海道 ・九州では、採用調査で国労・ 全動労 の方針である「現地現職」と記入したり、白紙で提出したため採用されない組合員もいた。 鉄道労連の不採用者は全国で29名( 北海道 22、東日本1、西日本2、九州4。東海、四
- 国鉄労働組合
- 全動労 、 動労 千葉組合員)を定員割れになっても採用しないよう、要請したものである。2月9日、この決議は杉浦喬也総裁に手渡された。『日本労働年鑑』は、この決議について「『労働組合』による不当労働行為のすすめともいえそうな内容であった」と評した。 動労
- 鉄道産業労働組合
- する組合員が同仙台地本を脱退して全東北鉄道産業労働組合を結成した。後に現名称・鉄道産業労働組合に改称する。鉄産労は民営化に一貫して反対した国労、 全動労 、 動労 千葉とともに、組合弾圧のターゲットとされた。1987年(昭和62年)3月10日、13名の組合員(運転士)が仙台駅営業係などの兼務を命じられ、国鉄
- 私鉄
- 動労 )・鉄道労働組合(鉄労)などを前身とする全日本鉄道労働組合総連合会(JR総連)・日本鉄道労働組合連合会(JR連合)のいずれかに属し、この点でも日本私鉄労働組合総連合会(私鉄総連)などに加入している組合が多い他の鉄道事業者とは一線を画する。ただし、少数派の組合である全国鉄動力車労働組合( 全動労
- 国鉄千葉動力車労働組合
- 2支部、木原線を第三セクター鉄道に転換したいすみ鉄道に1支部、中央支部1支部) 機関誌:年刊『 動労 千葉』および『日刊 動労 千葉』 動労 千葉の前身である 動労 千葉地方本部は、少なくとも1972年の2月以降、 動労 本部と行動することをしなくなっていった。その理由は、「70春闘勝利関東ブロック総決起集会」など
- 鉄道労働組合
- こうして、国鉄分割民営化をめぐっては単なる労使対立にとどまらず、賛成する同盟系の鉄労と、反対する総評系の国労・ 動労 ・新産別・ 全動労 の対立という「労労対立」の様相も呈した。 その後、 動労 と 全 施労も分割民営化賛成へ転じたため、鉄労は 動労 や 全 施労などと合同して1987年2月2日に「国鉄改革労働組合協議会」を設置した。国鉄分割民
- 日本国有鉄道
- 、それ以降一度も黒字を計上することはなかった。ただし単年度収支では旅客部門のみ1984年度以降黒字になった。 また総評系の国鉄労働組合(国労)と国鉄動力車労働組合( 動労 )、同盟系の鉄道労働組合(鉄労)の各大規模労組が、国内の労働運動や政治に一定の影響力を与え続けた。 「第2次5カ年計画」は国鉄の近代化に大きく貢献し
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