金剛峯寺 / 伽藍
基本情報
- 所在地
- 〒648-0211
和歌山県伊都郡高野町大字高野山152
- TEL / FAX
-
0736-56-3215
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
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- 金剛峯寺
- X 0213:2004 で規定されている文字が含まれています(詳細)。 金剛峯寺 (こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗の総本山の寺院。正式には高野山 金剛峯寺 (こうやさんこんごうぶじ)と号する。 高野山は、和歌山県北部、周囲を1
- 高野山
- 山内は「一山(いっさん)境内地」として総本山 金剛峯寺 の境内となっている。このうち、大門地区、伽藍地区、本山地区、奥院地区、徳川家霊台地区、 金剛 三昧院地区の6地区が国の史跡に指定され、世界遺産の構成要素となっている。多数の寺院建築が立ち並ぶが、ここでは主要な一部を紹介する。詳細は 金剛峯寺 参照のこと。 壇上伽藍
- 高野山真言宗
- 金剛峯寺 。別称として、高野宗・高野派。 全国約3700の末寺を包括する包括宗教法人である。 最高職は管長で、総本山 金剛峯寺 の座主を兼ねる。現在の管長は2022年11月に就任した第415世長谷部真道大僧正。任期は4年。 宗務は宗務総長及び各部長が方針を定める。各役員は、総本山 金剛峯寺 の責任役員を兼ねる。
- 真言宗
- 会の復興を行った。東寺の支配から高野山の独立を図り、東寺長者が 金剛峯寺 の座主を兼職する慣例を廃止し、 金剛峯寺 座主に任ぜられたが、 金剛峯寺 方(本寺方)の反発を受け失敗した。その後、座主を辞して根来山(和歌山県)に隠棲した。これより、 金剛峯寺 方(本寺方)と覚鑁の流れを汲む大伝法院方(院方)との間で長い派
- 弘仁
- 政権を戻そうと謀って露見し、捕らえられる(薬子の変)。 弘仁2年(811年):左右衛士府を左右衛門府に改める。 弘仁7年(816年):空海が高野山 金剛峯寺 を開く。 弘仁9年(818年):富寿神宝鋳造。 弘仁11年(820年):弘仁格式完成 弘仁13年(822年):景戒『日本現報善悪霊異記』を編集。 弘仁年間:嵯峨天皇、検非違使の設置。
- 釈迦如来
- 木造釈迦如来立像(奈良県 宇陀市 室生寺金堂) 銅造釈迦如来倚像 (「白鳳仏」、東京都 調布市 深大寺) 涅槃図(和歌山県 伊都郡 高野山 金剛峯寺 普段は高野山霊宝館に収蔵、常楽会で本尊として 金剛峯寺 広間に掛けられる。) 重要文化財・その他 釈迦如来像(和歌山県 伊都郡 高野山 真別処 円通律寺) 釈迦如来像(「飛鳥大仏」、奈良県
- 不動明王
- 合掌して一心に不動明王を見上げる姿に表されるものが多く、制吒迦童子は対照的に、 金剛 杵(こんごうしょ)と 金剛 棒(いずれも武器)を手にしていたずら小僧のように表現されたものが多い。 八大童子の彫像の作例としては、高野山 金剛峯寺 不動堂に伝わった国宝の像がよく知られる。この他に三十六童子、四十八使者と呼ばれるものがある。
- 真言宗御室派
- 1900年(明治33年)9月、仁和寺を本山とする真言宗御室派として独立する。 1926年(大正15年)には(真言宗高野派(総本山 金剛峯寺 )・真言宗大覚寺派(大本山大覚寺))と合同して 金剛峯寺 を総本山とする古義真言宗を組織する。 1941年(昭和16年)3月、古義真言宗・新義真言宗系の宗派が政府の政策によって
- 空海
- があり、後の『風信帖』に見られる書風とは異なる。 金剛峯寺 蔵。国宝。『聾瞽指帰』から『三教指帰』への改訂については三教指帰#「聾瞽指帰」から「三教指帰」へを参照のこと。 灌頂歴名(かんじょうれきめい) 弘仁3年から弘仁4年にかけて、空海が高雄山寺で 金剛 ・胎蔵両界の灌頂を授けた時の人名を記録した手記で
- 806年
- 唐で天台教学を授かり日本に帰国した最澄が天台宗を開く(1月に天台法華宗が公認された)。また空海も同じく唐から帰国し、これ以降、真言密教が日本に広められた(高野山 金剛峯寺 を修禅の道場として開創したのは816年のことで、真言宗の開宗はその頃とされる)。 この年の『日本後紀』の記録には、洪水によって資産を失った百姓を救
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