金剛峯寺 / 尼僧学院
基本情報
- 所在地
- 〒648-0211
和歌山県伊都郡高野町大字高野山359
- TEL / FAX
-
0736-56-2501
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
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- 金剛峯寺
- X 0213:2004 で規定されている文字が含まれています(詳細)。 金剛峯寺 (こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗の総本山の寺院。正式には高野山 金剛峯寺 (こうやさんこんごうぶじ)と号する。 高野山は、和歌山県北部、周囲を1
- 真言宗
- 会の復興を行った。東寺の支配から高野山の独立を図り、東寺長者が 金剛峯寺 の座主を兼職する慣例を廃止し、 金剛峯寺 座主に任ぜられたが、 金剛峯寺 方(本寺方)の反発を受け失敗した。その後、座主を辞して根来山(和歌山県)に隠棲した。これより、 金剛峯寺 方(本寺方)と覚鑁の流れを汲む大伝法院方(院方)との間で長い派
- 高野山真言宗
- 金剛峯寺 。別称として、高野宗・高野派。 全国約3700の末寺を包括する包括宗教法人である。 最高職は管長で、総本山 金剛峯寺 の座主を兼ねる。現在の管長は2022年11月に就任した第415世長谷部真道大僧正。任期は4年。 宗務は宗務総長及び各部長が方針を定める。各役員は、総本山 金剛峯寺 の責任役員を兼ねる。
- 高野山
- 山内は「一山(いっさん)境内地」として総本山 金剛峯寺 の境内となっている。このうち、大門地区、伽藍地区、本山地区、奥院地区、徳川家霊台地区、 金剛 三昧院地区の6地区が国の史跡に指定され、世界遺産の構成要素となっている。多数の寺院建築が立ち並ぶが、ここでは主要な一部を紹介する。詳細は 金剛峯寺 参照のこと。 壇上伽藍
- 釈迦如来
- 木造釈迦如来立像(奈良県 宇陀市 室生寺金堂) 銅造釈迦如来倚像 (「白鳳仏」、東京都 調布市 深大寺) 涅槃図(和歌山県 伊都郡 高野山 金剛峯寺 普段は高野山霊宝館に収蔵、常楽会で本尊として 金剛峯寺 広間に掛けられる。) 重要文化財・その他 釈迦如来像(和歌山県 伊都郡 高野山 真別処 円通律寺) 釈迦如来像(「飛鳥大仏」、奈良県
- 弘仁
- 政権を戻そうと謀って露見し、捕らえられる(薬子の変)。 弘仁2年(811年):左右衛士府を左右衛門府に改める。 弘仁7年(816年):空海が高野山 金剛峯寺 を開く。 弘仁9年(818年):富寿神宝鋳造。 弘仁11年(820年):弘仁格式完成 弘仁13年(822年):景戒『日本現報善悪霊異記』を編集。 弘仁年間:嵯峨天皇、検非違使の設置。
- 不動明王
- 合掌して一心に不動明王を見上げる姿に表されるものが多く、制吒迦童子は対照的に、 金剛 杵(こんごうしょ)と 金剛 棒(いずれも武器)を手にしていたずら小僧のように表現されたものが多い。 八大童子の彫像の作例としては、高野山 金剛峯寺 不動堂に伝わった国宝の像がよく知られる。この他に三十六童子、四十八使者と呼ばれるものがある。
- 空海
- があり、後の『風信帖』に見られる書風とは異なる。 金剛峯寺 蔵。国宝。『聾瞽指帰』から『三教指帰』への改訂については三教指帰#「聾瞽指帰」から「三教指帰」へを参照のこと。 灌頂歴名(かんじょうれきめい) 弘仁3年から弘仁4年にかけて、空海が高雄山寺で 金剛 ・胎蔵両界の灌頂を授けた時の人名を記録した手記で
- 真言宗御室派
- 1900年(明治33年)9月、仁和寺を本山とする真言宗御室派として独立する。 1926年(大正15年)には(真言宗高野派(総本山 金剛峯寺 )・真言宗大覚寺派(大本山大覚寺))と合同して 金剛峯寺 を総本山とする古義真言宗を組織する。 1941年(昭和16年)3月、古義真言宗・新義真言宗系の宗派が政府の政策によって
- 山号
- その制度が日本や朝鮮にも伝来すると、鎌倉五山の巨福山建長寺、京都五山の瑞竜山南禅寺など禅宗寺院を中心に山号を付与するようになった。 また、日本の場合、延暦寺や 金剛峯寺 は、それぞれ比叡山寺、高野山寺と呼ばれたが定額寺に認定され寺号が定まった。 [脚注の使い方] ^ 諸戸立雄著『中国仏教制度史の研究』(平河出版社、1990年)
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