両足院
基本情報
- 所在地
- 〒605-0811
京都府京都市東山区大和大路通四条下る4丁目小松町591
- TEL / FAX
-
075-561-3216
- e-MAIL
- URL
- 業種
- 寺院
- コメント
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- 両足院
- 両足院 (りょうそくいん)は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。大本山建仁寺の塔頭。本尊は阿弥陀如来。 当 院 は、鎌倉時代に明庵栄西の法脈・黄龍派(おうりょうは)を継ぐ龍山徳見(りゅうざんとっけん)禅師を開山とする建仁寺の塔頭・知 足院 として建立された。 その後は黄龍派寺院の本院となっていたが、天文年間(1532年
- 建仁寺
- 来院の開山となった。西来院の本堂は内陣中央正面に、大覚禅師の等身木造坐像を安置している。 両足院 (りょうそくいん) - 開山は建仁寺35世龍山徳見とする。もとは知 足院 といい、その寮舎であった也足軒と合併し 両足院 となったともいう。戦国武将、黒田長政に所縁の塔頭で、元は鞍馬にあった毘沙門天像を兜の中に入
- 龍山徳見
- 北朝時代にかけての臨済宗の僧。俗姓は千葉氏。諱は初め利見と称したが、のちに徳見と称した。道号は龍山。下総国の出身。諡号は真源大照禅師。建仁寺塔頭、 両足院 の祖として知られている。 弘安7年(1284年)11月23日、下総国の香取郡に、千葉氏の一族として生まれた。香取郡に龍山があったから、後に自ら取って道号とした。
- 如拙
- 重要文化財 琴棋図屏風 (京都・龍光院) 六曲一隻 紙本墨画淡彩重要文化財 高士探梅図 (個人蔵) 1幅 紙本墨画 重要文化財 三教図 (京都・建仁寺 両足院 ) 1幅 紙本墨画 重要文化財 三教図 (ベルリン国立東洋美術館) 1幅 紙本墨画 ^ 美術室 山本 (1997年4月12日). “不思議な絵 ―如拙筆「瓢鮎図」-”
- 京都府指定・登録文化財一覧
- 常立寺峯山藩主京極家墓所〔京丹後市〕 両足院 庭園〔京都市東山区〕 江西寺庭園〔宮津市〕 妙円寺庭園〔宮津市〕 成相寺のタブノキ〔宮津市〕 三上家庭園〔宮津市〕 宗雲寺庭園〔京丹後市〕 旧府知事公舎のエノキ〔京都市上京区〕 下黒田の伏条台杉群〔京都市右京区〕 石清水八幡宮御文庫のクスノキ及び神楽殿のクスノキ〔八幡市〕 地蔵 院 のシダレザクラ〔綴喜郡井手町〕
- 黒田長知
- 両足院 に寄進している。 明治35年(1902年)1月7日、東京・黒田家赤坂本邸にて薨去した。享年64。同日、正二位を贈られた。墓所は青山霊園黒田家墓所にある。 1900年(明治33年)6月20日 - 従二位 父:藤堂高猷 母:妙貞 院 - 橋本清娯の娘 養父:黒田長溥 正室:豊子、香台 院 - 松平定和の長女
- 明菴栄西
- ^ a b “開山栄西禅師”. 建仁寺. 2022年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月8日閲覧。 ^ 絹本著色、建仁寺 両足院 蔵、絶海中津賛。栄西肖像としては現存最古の14世紀末から15世紀初めの作品。賛文はもともと無学祖元の原作にかかり、絵も祖元着賛の栄西像に拠っている可能性がある。
- 福岡藩
- 円応寺、浄土宗黒田孝高正室、光(照福 院 )開基 薬王密寺東光 院 (現在は建物のみ保存、廃寺となっている。仏像は福岡市美術館に収蔵された。) 少林寺、黒田長政正室、栄姫墓所他 京都府京都市 大徳寺、塔頭龍光 院 報恩寺、浄土宗 黒田長政、如水の位牌寺 報土寺、浄土宗 孝高正室(照福 院 )墓所 建仁寺、塔頭 両足院 東京都
- 黒田長政
- いた、元足利将軍家の茶の宗匠・比喜多養清との繋がりで臨済宗建仁寺の塔頭・ 両足院 にて必勝祈願し、元は鞍馬寺にあり同寺に祀られていた小さな毘沙門天像を兜の中に入れ関ヶ原に出陣した。明治になり黒田侯爵家から像が寄進され、現在は 両足院 毘沙門天堂に秘仏として祀られる。
- 雲谷等益
- 『岡山県立美術館収蔵作品選2018(館蔵ならびに寄託作品による)』 2018年3月25日、第35,36図。 ^ 京都国立博物館編集・発行 『社寺調査報告28 両足院 (建仁寺塔頭)』 2018年3月31日、p.56(画像無し)。 ^ [ID_308] 群馬図屏風 : 作品情報 _ 収蔵作品データベース _ 岡山県立美術館
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